編集部メモ
本ページは、『「だいじょうぶ」のいくつか』v1に対する辛口レビューと、v2への改善方針を記録するものである。
本作は中島のシリーズ番外編「ことばのメモ」第二作。約2700字。#1「うん」のテンプレを継承し、さらに固化させた格好になっている。本レビューは、本作個別の問題と、三作通しての反復テンプレの両方を扱う。とくに、本作は「同じ作法で、別の語を一つ」やっているため、テンプレの自己反復が最も顕著に出る位置にある。
v1は、#1「うん」とほぼ同じ骨格で書かれている。冒頭で「『うん』を数えた、あの日の、つづき」と明示的に前作を参照し、「同じ夜の作法で」六場面を並べる。各場面で「だいじょうぶ」の機能を中島が命名する。英訳セクションを置き、夜の机の独り言で閉じる。
つまり、第二作にして、すでに「ことばのメモ」のフォーマットが固まり、それを意識的に踏襲しようとしている。これは「シリーズの統一感」ではなく、「テンプレの自己模倣」である。中島が「ことばのメモ」を書く作家になりつつある——それは中島の本編から離脱している。
さらに、#1で見えた問題(七場面並列/機能命名/英訳/夜の独り言)が、本作ではすべて反復され、ところどころ強化されている。「『うん』のときと、同じように」という自己参照が、テンプレ強化の合図になっている。
朝の食卓/教室で/放課後、ヤマモトと/隣の席のやつと/家で、妹と/夜の、ひとりの「だいじょうぶ」/英訳の試み/夜
判定:#1の七場面並列を、六場面に圧縮しただけ。場面の機能配分(状態の報告/許可/確認の問い/断り/相手への安心/自分への鎮静)も、中島が場面の直後に命名する。構造として #1 と同型。
「『うん』は、応えだけ。『だいじょうぶ』は、問いにも、応えにも、自分にも、向く」と本文で書かれる。これは「だいじょうぶ」が「うん」より幅広い機能を持つから、場面が必要、という弁明。しかし、機能の幅が広いなら、なおさら、一つひとつの「だいじょうぶ」をもっと深く見るべきで、並列して命名する形は機能の幅を見せるのに適していない。並列は、機能を平面化する。
v2の改善:6場面同音並列を撤去。応えの最小単位エッセイの形を捨てる。
「うん」のときは、応えだけだった。今度の「だいじょうぶ」は、応えのなかでも、もう少し、複雑な動きを、している、らしい。
判定:これが本作の根本的な問題で、三作通してのテンプレの中核でもある。中島は本編で「言葉が出ない/出せない/応えにならない応え」を抱えてきた人物である。本編 nakajima-07 で「いることが、続けること」にたどり着いた。その中島が、番外編で、応えの最小単位を一つずつ取り出して、機能分類するメモ作家になっている。
これは中島ではなく、書き手(AI)が「シリーズ番外編で続けやすいフォーマット」として「応えの語彙学」を発明した結果。「うん」「だいじょうぶ」「べつに」と続いているのは、書き手が同じフォーマットで生成しやすいから。中島の中から出てきている形ではない。
v2 では、この「応えの最小単位エッセイ」の形そのものを捨てる。「だいじょうぶ」を場面ごとに分類するのではなく、「だいじょうぶ」を一回だけ言わなかった、または一回だけ言いすぎた、という観察に振る。「数える」をやめる。
v2の改善:「だいじょうぶ」の機能網羅をやめる。「言わなかった」「言いすぎた」など、機能の足し算ではない方向に振る。
これは、状態を、伝える「だいじょうぶ」だった。〔……〕これは、許可の「だいじょうぶ」だった。〔……〕これは、確認の「だいじょうぶ?」だった。〔……〕これは、断りの「だいじょうぶ」だった。〔……〕これは、自分への「だいじょうぶ」だった。
判定:#1 と同じ命名構文が、本作で六回反復。書き手はこの構文を本作で「ことばのメモ」のシグネチャとして固定したらしい。
悪化しているのは、本作では「だいじょうぶ」が問いにも応えにもなる、という多層性が観察対象なのに、命名構文が単一の機能を割り当てる構造になっていること。多層性を観察するには、命名は適していない。
v2の改善:命名構文を全廃。
「うん」のときと、同じように、英訳を、試みた。〔……〕「うん」のときも、似ていたけれど〔……〕「うん」のとき、判定しないで、受け取る、というのが、何の倫理なのかは、わからない、と、書いた。「だいじょうぶ」も、たぶん、似た場所に、ある。〔……〕「うん」のときの、最後の「うん」と、ほぼ、同じ場所に、ある音。けれど、ちょっとだけ、違う。
判定:本作は #1 を四回くらい明示的に参照する。「『うん』のときと、同じように」が呪文のように反復され、テンプレの自己強化が公式化される。
シリーズ番外編として前作との連続性を示すこと自体は悪くない。しかし、ここでの自己参照は、連続性ではなく、自己模倣のアリバイになっている。「同じ作法でやります」と宣言することで、書き手は構造の反復を正当化する。読者は二回目以降の「『うん』のときと」で、もう何が来るかわかる。
v2の改善:#1 への自己参照を撤去。前作との関係は、本作の構造そのもので示す(本作の構造が #1 と異なれば、自然と「変化」が読者に届く)。
「うん」のときと、同じように、英訳を、試みた。今日も、倫理のプリントの、裏に、書き出した。〔……〕三つ、訳して、やめた。
判定:「倫理のプリントの裏に書き出す」「三つ訳してやめる」「妹と自分の分は訳さない」——#1 の英訳セクションの構造を、ほぼそのまま踏襲。違いは語が「だいじょうぶ」になっただけ。
中島が英訳に向かう必然性は、#1 と同じく、ない。本編の中島に英語との接点が立っていない。にもかかわらず、英訳セクションが「ことばのメモ」のシグネチャとして反復される。これは東のテンプレを中島に流用した結果が、シリーズ内で複利化している。
v2の改善:英訳セクションを撤去。
ベッドに、寝そべって、天井を、見ていた。〔……〕窓の外で、街灯が、ひとつ、灯った。
「だいじょうぶ」と、俺は、自分のなかで、もう一度、言った。
今日が、終わる、という、事実を、自分に、返す音。
判定:#1 の結尾とほぼ同じ画面(ベッド/天井/街灯/自分への一語/事実を返す音)。「街灯が、ひとつ、灯った」まで同じ。これは反復ではなく、複製である。
さらに、#1 の最終文「事実を、自分に、返す音」を本作で引き継いで、「『うん』のときの、最後の『うん』と、ほぼ、同じ場所に、ある音」と自己参照する。前作の決め台詞を本作で再演する、という二重の閉じ方。AI が「シリーズの統一感」を出そうとするときの最頻出の失敗形。
v2の改善:夜の机の結尾を全廃。ベッド/天井/街灯のセットを撤去。「事実を、自分に、返す音」を出さない。
同じ五音が、こちらは、確認、こちらは、許可、として、機能した。〔……〕問いと、応えで、形が、違う。けれど、音は、同じ。〔……〕「だいじょうぶ?」と、聞いて、「だいじょうぶ」と、返す。それで、確認の輪が、閉じる。閉じても、関係は、続く。
判定:「だいじょうぶ?」と「だいじょうぶ」が同じ五音である、という発見が、本作の中盤で取り出される。発見そのものは悪くない。が、それが「確認の輪が閉じても関係は続く」というケアの倫理の概念命題に収束していくと、観察が概念に蒸留される。
「確認の輪を、閉じる」という言い回しが本作で三回出てくる。これは中島の語彙ではない。「輪が閉じる」の比喩で、ことばの働きを上から記述している。批評文の身振り。
v2の改善:「確認の輪が閉じる」「ケアの倫理の核」を解説しない。中島の身体と、相手の声で、立ち上げる。
関係が、ちょっとずつ、続いている、というのが、こういう五音の、繰り返しの、上に、たぶん、ある。介入しないで、見捨てない。判定しないで、受け取る。「だいじょうぶ?」と、聞いて、「だいじょうぶ」と、返す。
判定:本編 nakajima-07 で立ち上がった核を、番外編で概念命題として再演する癖。「介入しないで、見捨てない」「判定しないで、受け取る」が、本作で標語のように並ぶ。これは本編の四ヶ月の積み重ねを、二語の対句に圧縮している。
本編で読んだ読者は、この対句を読むときに「ああ、あれをこう要約するのか」と、概念のラベルを受け取ることになる。これは作品が読者の解釈を肩代わりする動作で、最も典型的な AI くささ。
v2の改善:標語的な対句を撤去。本編の核を概念化しない。
母に、カズに、ヤマモトに、隣の席のやつに、妹に、自分に。
判定:#1 と同じ六人セット(母/カズ/ヤマモト/隣の席のやつ/妹/自分)が、本作でもほぼ同じ順番で一周する。本作の最後に、「母に、カズに、ヤマモトに、隣の席のやつに、妹に、自分に」と、人物名を順に列挙する文が出てきて、六人カバーを書き手自身が確認している。これはチェックリストの可視化である。
三作目「べつに」では、「べつに」が希少な語として設定されているため、六人一周が崩れる。が、本作では、まだ崩れていない。崩さないと、シリーズが「同じ六人での一日」を反復する閉じた円環になる。
v2の改善:六人セットを撤去。人物を一人か二人に絞る。
同じ五音が、ぜんぶ、別の働きを、していた。〔……〕「五音だけ、薄く、被せる」
判定:「だいじょうぶ」を「五音」と数える。「うん」を「二音」とは数えていなかったが、「だいじょうぶ」では「五音」が頻出する。これは東の「お疲れ」を「四音」と数えるテンプレの流用。番外編シリーズで「音節を数えるメタ記述」が定着しつつある。
「五音」と数えること自体が、ことばを音節の単位に還元する身振りで、批評文の語彙。中島の口のなかで「だいじょうぶ」が動いている、という観察よりも、上から数える視点が優位になる。
v2の改善:「五音」のメタ記述を減らす、または撤去。中島の口のなか・身体で、ことばを動かす。
本作(#2)は #1 で形成されたテンプレの忠実な再演になっている:
v2 では、本作(#2)について、テンプレ全体を最も大胆に壊す。本作はテンプレの中央に位置するため、ここで形を変えないと、シリーズ全体がテンプレを抜けられない。
以上を踏まえて、v2の改善方針:
v2が目指すのは、「だいじょうぶ」の機能を網羅するエッセイから降りて、「だいじょうぶ」が一回だけ言えなかった、または一回だけ言いすぎた、その一回を書くこと。
「言わなかった」を選ぶなら、相手が「だいじょうぶ?」と聞いてきたが、こっちが「だいじょうぶ」と返さなかった、または返せなかった瞬間。「言いすぎた」を選ぶなら、何でもないところで「だいじょうぶ」と二回連続で出してしまって、二回目が浮いた瞬間。どちらでもよいが、機能分類が破綻する場所を選ぶ。
場面は一つに絞る。人物は一人。理想的には、隣の席のやつかヤマモト。本編の中島の温度を継承する。結尾は夜のベッドで閉じない。「だいじょうぶ」を返さなかった、または言いすぎた、ということが、その後の数時間にどう尾を引いたか、もしくは、引かなかったか。引かなかったとしても、それを「事実を返す音」で哲学化しない。