核は強い。カッターを入口の柱の同じ釘にかけてあること、ビニールは張り替えられるが骨が曲がれば終わりという損得勘定、発電機が暖房ではなく換気のためにあること、そして父の「破った年」と「耐えた年」。この四点は、台風といちご農家にしか書けない。問題は、書き手がその四点を信用せず、黒ずむ空と台風一過の青空で場面を額装し、最終段で「それが農家というものなのだ」と自分で主題を読み上げてしまっていることだ。判断を扱う職業の話なのに、いちばん肝心の判断の手つきが、宣言の影に隠れている。
「結局のところ、いちご農家にとって台風とは、守るために破る覚悟を試される時間なのだ。(中略)それが農家というものなのだと、私は父の背中を見ながら、いまそう思っている。」
結びで主題を要約し、判子を自分で押して終わっています。「それが農家というものなのだ」は、どの職業エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、ナンジョウヒカリである必然がない。父の背中を見て悟る、という型も既製品です。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めてしまっている。カッターと骨の話がすでに全部言っているのに、それを抽象語で言い直すたびに、カッターの値打ちが下がる。
「台風が近づくと、空がいつもと違う色に黒ずんで、何か不穏なものが押し寄せてくる気配がする。」
黒ずむ空、不穏な気配。台風の常套句を二つ並べて、安く緊張を調達しています。この書き手が本当に台風を何度も迎えたなら、出てくるのは不気味な空ではなく、進路予報の更新間隔か、ホームセンターから消えるマイカ線か、ラジオの気圧の数字のはずです。天気が人物より先に立っており、生成された“それっぽさ”の典型。末尾の「台風一過の、嘘のように晴れた青空」も同じ書き割りで、両端を絵で挟んで中身を額装している。
「もう準備は始めなければいけないのかもしれない。」「たぶん、答えは台風ごとに違うのだろう。」
台風前のいちご農家は、断定で動く職業です。いつ補強を始めるかを決め、巻き上げるか閉めるかを決め、最後は破るか耐えるかを決める。その人物の回想が「〜かもしれない」「〜のだろう」で薄まるのは、現場の迷いではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに準備開始の判断は、本人の中では分単位ではっきり決まっているはずで、そこを留保で濁すと、手順を語る資格そのものが揺らぐ。
「進路の右側は風が強い、と言われている。」
「と言われている」は伝聞であって観察ではない。毎年これで動いている人間なら、なぜ右側が強いか(台風自身の進む速さと回転の風が足し合わさる側だから)を、伝聞ではなく自分の言葉で持っているはずです。マイカ線の「増し締め」も動作名どまりで、どちらに何回ひねって留めるのか、手の向きが見えない。発電機の「燃料は満タンにしてある」も、何リットルで何時間ファンが回るのかという、台風前にいちばん気になる数字が抜けている。概念は並んでいるが、手が映っていない。
「カッターは、入口の柱の、いつも同じ釘にかけてある。手探りでも届く高さに。」/「風が想定を超えたとき、ビニールが飛ばされるくらいなら、自分で破って骨組みを守る。」
このエッセイ最大の武器を、宣言で終わらせています。カッターの位置をここまで具体的に決めておきながら、肝心の「どこを、どの向きに切るか」が書かれていない。実際に切るなら、風上側の決まった一枚を、風を逃がす向きに、上から下へ一気に引く——その動作の段取りが本人の中にあるはずです。第一稿は「破る覚悟」という気持ちは語るのに、破る手順は語らない。覚悟は気持ちで、判断は動作です。いちばん効く場所で、装置を抜いている。
「閉めきれば守れるというものではないのだ。」「暖を取る道具ではなく、風を送る道具として置いてある。」
側面を巻き上げる描写のあとに「閉めきれば守れるというものではない」と注釈をつけ、発電機の用途を語ったあとに「暖を取る道具ではなく、風を送る道具」と言い換える。動作を書いた直後に、その意味を地の文で解説する癖が全体にある。巻き上げる手と、満タンの燃料が見えていれば、意味は読者が受け取る。解説を足すたびに、せっかくの動作が説明のための例に格下げされていく。
「畑までの十分、私たちはほとんど何も話さない。」
沈黙の十分、は強い素材なのに、この一文だけでは料理人の親子にも漁師の親子にも置ける。沈黙の中身——父がどこを見ているか、自分がカッターを使ったか使わずに済んだかをどちらが先に口にするか、軽トラのどのカーブで畑の屋根が見えてくるか——を書かなければ、その十分は誰の十分でもない。沈黙は、何を黙っているかで初めて人のものになる。
残すべきは四つ。同じ釘にかけたカッター、骨が曲がれば終わりという損得、換気のための発電機、父の「破った年と耐えた年」。削るべきは、黒ずむ空と台風一過の青空という両端の額装、留保語尾、最終段の「それが農家というものなのだ」。改稿では、右側が強い理由を自分の言葉で一行で押さえて手順の根拠を作り、カッターは「どの一枚を、どの向きに、上から下へ切るか」という動作で書いてください。父の二つの年も、教訓ではなく、軽トラの中で父がどちらの年の話をしたか(あるいはしなかったか)で運ぶ。意味は動作と沈黙が運ぶ。説明が運ぶのではない。