ナンジョウヒカリ(24歳・温室いちご農家二代目)
台風が近づくと、空がいつもと違う色に黒ずんで、何か不穏なものが押し寄せてくる気配がする。スマホの進路予報を開く。私たちの数日が、この一枚の地図で決まってしまうのだ。いちごを育てる仕事だと思っていたのに、台風の季節は、ハウスそのものを守る仕事になる。
進路予報の見方は、父に教わった。台風の中心がどこを通るかより、自分の畑が円のどちら側に入るかを見る。進路の右側は風が強い、と言われている。予報円の縁が県にかかった時点で、もう準備は始めなければいけないのかもしれない。三日先、二日先、と円が太っていく。
補強の手順は決まっている。まずマイカ線の増し締めだ。ハウスのビニールを上から押さえている細いバンドを、一本ずつ引いて、緩んだぶんを巻き取る。夏のあいだに伸びた線が、ここで効いてくる。次に側面のビニールを巻き上げる。風を中に通してやれば、ハウス全体が風船のように膨らんで浮き上がるのを防げる。閉めきれば守れるというものではないのだ。
発電機の燃料も確かめる。暖房のためではない。台風は夏から秋に来るから、暖房はいらない。停電したとき、換気のためだ。ハウスは閉めきると中の温度が上がりすぎる。ファンを回し続けないと、いちごの株が蒸れて弱る。だから発電機は、暖を取る道具ではなく、風を送る道具として置いてある。燃料は満タンにしてある。
そして、いちばん大事なことがある。カッターの位置を決めてある。風が想定を超えたとき、ビニールが飛ばされるくらいなら、自分で破って骨組みを守る。ビニールは張り替えられるが、骨が曲がれば、そのハウスは終わりだ。カッターは、入口の柱の、いつも同じ釘にかけてある。手探りでも届く高さに。
父の代には、語り草になっている台風が二つある。破る決断をした年と、しないで耐えた年。破った年、近所では骨ごと潰れたハウスがいくつもあったが、うちの骨は残った。耐えた年、うちは賭けに勝って、ビニールも骨も無事だった。どちらが正しかったのか、父はいまでも、はっきりとは言わない。たぶん、答えは台風ごとに違うのだろう。
通過した翌朝は、軽トラでハウスへ向かう。助手席に父が乗る。畑までの十分、私たちはほとんど何も話さない。ラジオも消している。何を言っても、着いてみるまでは分からないからだ。窓の外は、台風一過の、嘘のように晴れた青空が広がっている。その青さが、かえって胸を締めつけた。
点検にも順番がある。まず外から骨組みを見る。曲がりがないか。次にビニールの破れ、マイカ線の外れ。中に入って、株の倒れ、水のたまり。被害があれば、共済のために写真を撮る。あとで何を撮っておけばよかったと悔やまないように、壊れたものは全部撮る。近所の農家とは、電話で損害を聞き合う。「そっち、どうだった」。お互いさま、という言葉が、こういう朝にいちばん効く。
結局のところ、いちご農家にとって台風とは、守るために破る覚悟を試される時間なのだ。ビニールを切る痛みを引き受けてでも、骨を、次の季節を守る。それが農家というものなのだと、私は父の背中を見ながら、いまそう思っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。