核は強い。香り・手触り・米の締まりの三つで出麹を決めること、突き破精と総破精を酒のタイプで使い分けること、「いい麹だ」が十一年で数えるほどしか出ないこと。この三点だけでエッセイは立つ。デビュー作で「温度計より先に手を入れる」という一動作に十一年を畳んだ書き手が、今回はその切れ味を、栗香のロマンと、語尾の保険と、最終段の自己解説で鈍らせている。とくに惜しいのは、麹係なら断定するはずの判断を、わざわざ伝聞と推量で薄めていることだ。職業エッセイは、職業の手つきがぶれた瞬間に嘘くさくなる。
「麹に明け渡した私の冬は、こうして一巡りずつ進んでいく。蔵の朝は今年も冷たく、出麹を終えた室だけが、まだほのかに暖かい。」
デビュー作の結び——「蔵の冬は今年も冷たく、麹室だけが、変わらず暖かい」——を、ほとんどそのまま再演しています。同じ書き手が同じ判子で締めると、それは様式ではなく手癖です。「明け渡した冬」も「一巡りずつ」も、出麹の朝でなくても成り立つ。前作の余韻に寄りかからず、出麹という今回の題材だけが持つ終わり方を探すべきです。
「出麹の朝が、蔵の一日の始まりなのだ。」
これは要約であってエッセイではありません。「一晩の終わりであり、一日の始まりでもある」と冒頭ですでに言い、最終段でまた言い直している。同じ主題を抽象語で二度なぞるたびに、間に挟まった具体(破精、枯らし場、掃除)の値打ちが下がる。始まりであることは、空になった室にまた米が入る——その動作が運べばいい。「〜なのだ」と直叙した時点で、読者の余白を作者が奪っています。
「その日の酒が求める麹を、過不足なく造ることなのだろう。」「仕上がりの良し悪しは、麹そのものではなく、行き先の酒が決めるのかもしれない。」
麹係は、香り・手触り・締まりで出麹を「決める」職業です。決めることで飯を食っている人間の独白が「〜なのだろう」「〜かもしれない」で続くのは、現場の声ではなく、断言を避ける書き手の保険に見える。十一年やってきた人間なら、ここは「行き先の酒が、麹の良し悪しを決める」と言い切っていい。推量は、迷っている若手の心理を書くときにだけ使う武器であって、地の文の語尾を一律に丸める道具ではありません。
「冬の蔵に夜明けの光が差し込み、麹室の戸を開けると、湿った熱と甘い香りがゆっくりと立ちのぼってくる。その情景は、静かで、どこか厳かだった。」
夜明けの光、立ちのぼる湯気、静けさ、厳かさ。酒蔵を検索すれば最初に出てくる絵葉書を、そのまま貼っています。デビュー作のレビューでも同じ「湯気が立ちのぼり時間が止まった」を削ったはずで、書き手はまた戻ってきている。本当に出麹の朝に戸を開けた人間の一息に乗るのは、厳かさではなく、「昨夜より香りが二段濃い」という即座の判定のはずです。情緒が観察より先に立つと、人物が消えます。
「突き破精は淡麗ですっきりした酒に、総破精は濃醇でふくよかな酒に向く、とされている。」
「とされている」は教科書の文で、十一年の手のひらの文ではありません。この書き手は破精込みを指で潰して見てきた当人なのだから、知識を伝聞で引くのではなく、自分の手の記憶で書くべきです——突き破精の米は割ると芯に生米の白が残る、総破精は割っても面まで菌が入っている、というふうに。一般論を「とされている」で借りるたびに、語り手がにわかに見える。職業の知は、文献ではなく指先から出てこなければ嘘になります。
「だからこそ、あの一言を聞いた朝のことは、いまでもはっきり覚えている。」
「はっきり覚えている」と書いておきながら、その朝が一行も書かれていません。どの仕込みの麹だったか、破精はどう入っていたか、杜氏は麹を握ったあと何をしたか。覚えているなら、出るはずです。覚えていると言うだけで中身を出さないのは、思い出を持っていないことの告白に等しい。デビュー作の「群れは弱っていた」のように、一場面を立てて見せれば、「いい麹だ」の重さは説明なしで伝わります。
「自分の受け持ちを仕上げて、次の手にきちんと渡す。バトンを落とさないこと。それだけが、私に任された仕事だった。」
「バトン」はスポーツの比喩で、麹の重さも温度もありません。麹係から酛屋への受け渡しは、実際には物として起きる——枯れた麹を桶か箱に量って移し、誰かが運び、酛屋がそれを酒母に仕込む。その物の移動を一つ書けば、分業は比喩を使わずに立ちます。「きちんと渡す」「それだけが仕事」という抽象でまとめた瞬間、読者は受け渡しの現場を一度も見ていないことに気づきます。
残すべきは四つ。香り・手触り・締まりの三点で出麹を決めること、突き破精と総破精を酒で使い分けること、空の室を完全リセットする掃除、そして十一年で数えるほどの「いい麹だ」。削るべきは、夜明けと湯気の書き割り、「〜なのだろう/かもしれない」の留保、最終段の「始まりなのだ」という主題文、そして前作の結びの再演です。改稿では、破精の違いを「とされている」ではなく米を割った断面で書き、覚えていると言った杜氏の朝を一場面だけ実際に立て、受け渡しはバトンではなく桶か箱に量る動作で書いてください。意味は動作が運ぶ。語尾の保険でも、絵葉書でもなく。