出麹の、朝(第二稿)
麹を室から出し、次の手へ渡すまで

ナルケミツキ(33歳・酒蔵の麹係11年)

出麹(でこうじ)の朝は、戸を開けた最初の一息で、もう決まっている。栗を蒸かしたような香り——栗香(くりか)が出れば合図だと言われるが、私は香りだけでは決めない。香りと、手触りと、米の締まり。麹を一握り取り、嗅いで、握って、潰す。今朝の香りは昨夜より二段濃い。握ると指の間からこぼれず、けれど押せばほどける。締まっている。出す。

香りが立っていても、握った麹がまだ湿って柔らかければ、まだ早い。逆に、香りが弱くても、米が芯まで締まって乾いていれば、もう出していい朝もある。三つのうちどれを重く見るかは、その日その日で変わる。決めるのは私で、迷っている時間はない。出麹を一日延ばせば、菌は米をさらに食い、麹は私の狙いを越えて変わってしまう。

出すと決めたら、麹を室から出し、枯らし場(からしば)の麻布に広げる。室の中で寄せて温めてきたものを、ここで初めて、ばらばらに放す。厚く積もったところを手で崩し、薄く均す。広げた麹からは、まだ湯気のような熱が立ち、手のひらに余熱が残る。室の中の麹は一つの群れだったが、枯らし場では、米は一粒ずつに戻る。

枯らし場に広げると、米の一粒一粒に、白い菌の回り方が見える。破精(はぜ)という。一粒を爪で割ってみる。表面に菌が点々と咲いて、割った芯にまだ生米の白が残っているのが、突き破精(つきはぜ)。表面全体を菌が覆い、割っても面の奥まで菌が入っているのが、総破精(そうはぜ)。突き破精は淡麗な酒、総破精は濃い酒——そう習ったが、私が信じるのは習いではなく、割った断面のほうだ。

だから、よくできた麹と「良すぎる」麹は違う。今日の仕込みが淡麗な酒で、突き破精が欲しいのに、芯まで菌が入った総破精で上がってくれば、それはどれだけ美しくても、今日の麹ではない。私の仕事は、いちばん良い麹を造ることではない。今日の酒が欲しがる麹を、過不足なく造ることだ。麹の良し悪しは、麹ではなく、行き先の酒が決める。

枯れた麹は、木箱に量って移す。何キロと決まった分を、私が秤で計り、箱に入れ、酛屋(もとや)が運んでいく。私の手は、ここで麹を離れる。この麹が酒母(しゅぼ)になり、醪(もろみ)になる工程を、私は見ない。蔵は麹係、酛屋、釜屋と仕事が分かれていて、私は箱を満たすところまでが受け持ちだ。秤の針が決めた重さで止まると、その朝の私の仕事は半分終わる。

残りの半分は、空になった室の掃除だ。床も壁も棚も拭き上げ、前の麹を一粒も残さない。次の麹菌だけがまっさらな室で育つように、すべてを消す。掃除を終えた室はがらんとして、さっきまでの熱も香りも嘘のように、木の匂いだけが残る。米が入れば、室はまた一つの季節を持つ。それまでの数日、室は何の菌も飼わない、ただの木の箱に戻る。

三年目の冬、総破精を狙った仕込みの出麹で、杜氏(とうじ)が枯らし場に来た。麹を一握り取り、嗅ぎ、一粒を割って、しばらく断面を見ていた。それから箱に戻し、「いい麹だ」と言って、何も足さずに去った。十一年で、私がこの一言を聞いたのは数えるほどしかない。あの朝の麹は、割った芯の奥まで菌が入っていて、白かった。その白さを、私はいまも手の中で思い出せる。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。