ナルケミツキ(33歳・酒蔵の麹係11年)
麹係(こうじや)になって十一年になる。仕込みの季節になると、私の生活は麹室(こうじむろ)の温度に支配される。数時間おきに室に入り、米の塊を崩して混ぜ、温度を均す。夜中の二時にも見回りに起きる。布団に戻っても、室の温度がいまどうなっているかが気になって、眠りは浅い。冬のあいだ、私の体内時計は自分のものではない。
麹というのは、蒸した米に麹菌の胞子を振りかけ、その菌を米の中で育てたものだ。菌は生きていて、繁殖しながら熱を出す。放っておくと米の中心が熱を持ちすぎ、菌は弱り、雑菌が入る。だから人が手を入れて崩し、熱を逃がし、また集める。育てるというより、機嫌を取る、という感覚に近い。
蔵に入ったのは二〇一五年、二十二歳のときだった。冬の朝の蔵は、息が白くなるほど冷たい。その冷たさの中に、麹室だけが別の季節のように暖かい。木の戸を開けて中に入ると、湿った熱と、ほのかに甘い匂いに包まれる。蔵の静寂のなかに湯気が立ちのぼり、その情景はまるで時間が止まったかのようだった。白衣を着て、長靴を履いて、私はその往復を一日に何度も繰り返した。
麹係には決まりがある。納豆を食べてはいけない。納豆菌は麹菌よりもずっと強く、一度蔵に持ち込めば、その年の麹を駄目にしかねない。冬のあいだ、私の食卓から納豆は消える。ささいなことのようでいて、自分の体ごと麹の側に属しているのだと、毎朝の食事のたびに思い知らされたのかもしれない。
手入れというのは、文字どおり手を入れる。室の中の麹の塊に両手を差し込み、崩して、混ぜる。最初の手入れのとき、麹はまだ蒸し米のままで、手のひらにしっとりと重く張りついた。それが時間が経つにつれて、菌が水分を使い、米の表面が乾いてくる。手のひらの中で、しっとりが、だんだんパラパラに変わっていく。その変化の速さで、菌がいまどれだけ元気かが分かる。
蔵に入って間もない頃、夜中の見回りで私が温度計ばかり見ていると、杜氏(とうじ)が後ろから言った。「麹は生き物だと言うが、違う。生き物の群れだ。群れの機嫌は手のひらで分かる」。私は温度計から手を離し、麹に手を差し込んだ。たしかに、数字より先に、手のひらが何かを言っていた。温度計が同じ数字を指していても、元気な群れと弱った群れでは、手に返ってくる熱の質が違う。
仕上がりが近づくと、室の匂いが変わる。甘い匂いの底に、栗を蒸かしたような香りが立ってくる。栗香(くりか)と呼ぶ。これが出れば、出麹(でこうじ)、つまり麹を室から出す合図だ。出麹の日の朝はいつもより早く起きる。一晩のうちに香りがどこまで育ったか、戸を開けた瞬間の最初の一息で分かるからだ。
あの夜中の二時の見回りから、十一年が経った。いまでは温度計を見るより先に、手のひらが群れの機嫌を読む。麹の機嫌に生活を明け渡したあの一日が、俺をいまの俺にしてくれたのだと思う。蔵の冬は今年も冷たく、麹室だけが、変わらず暖かい。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。