雨の、中止
発破が天に止められる日のこと

ネゴロタケシ(45歳・採石場の発破技士23年)

発破は、私たちが決めて行うものだと思われている。だが本当のところ、最後に決めるのは私たちではない。空だ。雷注意報が出れば、その日は問答無用で中止になる。火薬と雷の組み合わせには、人間の都合を差し挟む余地が一切ない。山の機嫌が悪い日は、山が崩されることを拒むのだと、私は思っている。

中止を決めるのは、朝だ。詰所に着いて、まず空を見上げる。気象台がどう言おうと、自分の山の上の空がどう動いているかを、年配の技士たちは何より信じる。この仕事を長くやっていると、空を見る目つきが、だんだん農家の人に似てくるのかもしれない。雲の底の色、風の匂い、そういうものを読むようになる。

雷が問題なのは、言うまでもない。電気を帯びた空の下で雷管を扱うことは、できない。注意報のひとことで、何日もかけて掘った孔と、その日の段取りが、すべて止まる。悔しくないと言えば嘘になる。だが、火薬の世界に「たぶん大丈夫だろう」という言葉はない。中止は、安全という名の判断なのだ。

大雨にも、別の止め方がある。孔に水が入るのだ。掘った孔は、上を向いているものも斜めのものもあるが、雨が続けば底に水が溜まる。水が入った孔には、そのまま火薬を入れることはできない。水を抜き、孔の状態を確かめ、装填をやり直す。何時間もかけた準備が、ひと晩の雨で振り出しに戻ることもある。

中止が決まった日に、いちばん神経を使うのは、火薬の段取り直しだ。詳しくは書けないが、使わなかった火薬は、現場に置いて帰ることはできない。その日のうちに、決められた手続きで庫に戻す。出した量と戻した量が、一グラムも狂ってはならない。山を崩せなかった日でも、帳簿だけは、いつもと同じ重さで閉じられる。

段取り直しが済めば、あとは詰所で待機だ。雨の音を聞きながら、道具の手入れをする。点検棒の先を確かめ、削岩機の刃を見て、次の発破の図面を広げる。手を動かしていないと、止まっていることに焦れてくる。山は、こちらの都合など知らんぷりで、ただ濡れている。私たちは、その機嫌が直るのを、ひたすら待つ。

若手は、レーダーアプリを見ている。あと三十分で抜ける、とか、二時に雨雲がもう一度来る、とか、画面の色を読んで段取りを組み直す。年配の技士は、窓の外の空を見ている。どちらが正しいということではないのだと思う。画面の中の雨も、窓の外の空も、同じ一つの天気を、二つの目で見ているだけなのだろう。

そして、再開の朝が来る。空が抜け、注意報が解ける。私が真っ先にすることは、孔をのぞくことだ。指を入れて、底が濡れていないかを確かめる。乾いていれば、その日は動ける。湿っていれば、もう少し待つ。指先の感触ひとつで、その日の山との付き合い方が決まる。雨に止められた日々の答え合わせは、いつもこの一本の指から始まる。

二十三年やってきて、私はようやく思うようになった。崩すことだけが発破の仕事ではない。空を読み、火薬を戻し、孔の水を確かめて待つ——待つことも、また発破の仕事なのだ。山を崩せなかった日にも、私はちゃんと、発破技士をやっている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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