天ぷら屋の、昆布
揚げ物の店に、見えない出汁を納める

ニノヘアオイ(54歳・昆布問屋32年)

昆布問屋を三十二年やっている。料亭や乾物屋に卸すのが長く、揚げ物の店との付き合いはなかった。天ぷらは油の料理だ。昆布の出る幕などないと、どこかで思っていたのだと思う。紹介で一軒の天ぷら屋を訪ねたのは、そんな思い込みを正される春のことだった。

暖簾をくぐると、白木のカウンターの向こうに大きな鍋があって、油がかすかに鳴っていた。揚げ場の人だから、出汁とは無縁だろうと思っていた。だがカウンターの奥、目立たない場所に、小さな鍋がもう一つ掛かっていた。天つゆの出汁を引く鍋だという。店の顔は油だが、その足元を、見えない出汁が静かに支えていた。

主はカンザキシュウさん。天ぷら一筋で三十年、油の前に立ち続けてきた人だ。職人同士、不思議と話が早い。天つゆの相談になった。揚げ物の香ばしい油に、薄い出汁では負ける。かといって出汁が立ちすぎても、衣の軽さを殺してしまう。濃口の天つゆを下から支える昆布が要る、というのが大将の注文だった。

私は蔵の在庫を思い浮かべた。澄んだ吸物なら利尻の上を出すところだが、ここは違う。油に負けない厚みと、しかし出すぎない品の良さ。日高の肉厚に、寝かせて角を取った羅臼を少し合わせてみてはどうか。出汁は主役ではない。主役の油を、後ろから一段持ち上げる足し算の設計だ。私はその配合を、頭の中で組み立てていった。

後日、試しに引いてもらった出汁を、大将が一口含んだ。そして言った。「悪くない。だが、もう半年寝かせた方がいい」。私は驚いた。蔵で寝かせた年の差を、出汁を一口で言い当てる舌が、揚げ場の人にあるとは思っていなかった。油の前に三十年立つと、舌はここまで精度を上げるのか。職人の舌というのは、やはり噓をつかないものなのだと思った。

揚げと出汁の関係を、大将はこう言った。油の香ばしさが舌の表で立ち、その奥で昆布の旨味が支える。両方が同じ高さで鳴ると、喧嘩する。出汁は半歩下がっていなければならない。主役でない出汁を、わざと一歩引かせて設計する——それは、料亭で椀の色に合わせて配合を決めるのとは、また違う頭の使い方だった。私はそのことを、しばらく考えていた。

取引が決まり、月に一度、蔵から箱を一つ納めることになった。天ぷら屋の出汁は、料亭ほど大量には要らない。寝かせた昆布は、入れすぎれば店で持て余す。使い切れる量を、月の客足に合わせて調整する。多すぎず、足りなすぎず。納めの量を決めるのも、出汁を引くのと同じくらい、細やかな仕事だった。

箱を納めにいった日、大将が衣の話をした。粉を寝かせるのだという。打った衣をすぐには使わず、少し置く。私の蔵囲いと同じだと思った。私は昆布を蔵で寝かせ、大将は衣の粉を寝かせる。時間を使う仕事は同じなのだ。畑は違っても、職人の手は、同じ時間の流れを見ているのだと、私は静かに納得していた。

その日、カウンターの端で、自分の昆布で引いた天つゆを一杯もらった。揚げたての衣が、つゆに半分だけ浸かって音を立てた。油の香ばしさの奥に、寝かせた羅臼の甘さが、半歩下がって立っていた。私が三十年見てきた味が、知らない店の、知らない油の下で、生きていた。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。