核は強い。速いSちゃん・遅いTくん・触れられるだけのMちゃんという三人分のリズムの差、膝の下のバスタオル、五分おきのチェック表とトントンの手の並走、そして「起きる順番はほとんど毎日同じ」という一行。この書き手は、子どもを群れではなく一人ずつの固有のリズムとして手で覚えている人だ。それが書けている箇所はすべて良い。問題は、その確かな観察のあいだに、既製の叙情と留保語尾と主題の直叙が挟まり、せっかくのチェック表の精度を自分で薄めていることだ。連絡帳を三行に詰める人が、なぜこのエッセイでは語尾を曖昧にぼかすのか。
「私はこれからも、その手のリズムを、大切に刻んでいきたい。」
2作目「丁寧に開け続けたいと思っている」、デビュー作の成長譚の判子と、まったく同じ終わり方です。「これからも〜していきたい」は、保育士でも教師でも看護師でも、どの職業エッセイの末尾にも貼れる決意表明シールで、ニシオカハルカである必然がない。五分おきに升目を埋める人の文章が、最後だけ升目のない決意で締まる。観察記録の人なら、決意ではなく次の升目を書くはずです。
「午後の光がカーテン越しにやわらかく差し込んで、保育室はいつのまにか眠りの匂いに満ちていく。」
デビュー作の critique で「朝日が静かに差し込んでいた」を指摘したのと同じ装置が、午後の光に着替えてまた出てきました。光+やわらか+匂いに満ちる、の三点セットは「眠そうな部屋」を安く調達する生成テンプレートです。しかもこの一文は、その直後の「完全に真っ暗にはしない。顔色が見えなくなるとチェックができないからだ」という鋭い観察と矛盾している。遮光を業務として管理している人の目に、光は「やわらかく」は映らない。明るさは安全の変数です。情緒で書くか、業務で書くか、どちらかにすべきで、両方は嘘になる。
「十二人いれば、たぶん十二通りある。」「私はそれを、頭ではなく手のほうで覚えているのだと思う。」「トントンは、たぶん小さな対話なのだと思う。」
この語り手は五分ごとに胸の上下を見て升目に印を書く人です。断定で記録する職業の人物が、自分のいちばん得意な領域(十二人のリズム)を「たぶん」「のだと思う」でぼかすのは不自然です。Sちゃんは速い、Tくんは遅い、と言い切れている箇所こそ強い。なのに全体をまとめる文になると留保が増える。これは怯えた新人の心理ではなく、断言を避ける作者の保険です。「たぶん十二通り」ではなく、今日は十二人だった、と数えればいい。
「オルゴールのCDをかける。十二月から同じ一枚で、二曲目の途中でだいたい半分が落ちる。」
ここは惜しい。「二曲目の途中で半分が落ちる」は良い観察なのに、肝心の曲名がない。実際に毎日かけている人なら、二曲目が何の曲かを体が覚えているはずです(「ねむれよい子よ」でも「ブラームスの子守歌」でもいい、一つ挙げれば一気に本物になる)。「同じ一枚」「半分」は概念で、曲名は観察です。同様に、チェック表の升目の色や、印が丸なのかレ点なのかも書かれていない。升目を一日に何十回も埋める手は、その印の形を知っているはずです。
「トントンは、たぶん小さな対話なのだと思う。言葉のいらない時間に、手のひらだけで『ここにいるよ』と伝えている。」
完全に解説文です。Mちゃんが「やめて」と言うので手のひらを動かさないことに全部を使う、という第四段の描写が、すでに「対話」を動作で見せきっている。それを最終段で「小さな対話なのだ」と抽象語で言い直すたびに、Mちゃんの場面の値打ちが下がる。主題を主題文として書いたら、それは要約であってエッセイではない。比喩で回収せず、Mちゃんの手のところで止めるべきです。
「方針と、目の前の三時のあいだに、私は毎日立っている。」
「Aと、Bのあいだに、私は立っている」は、どんな葛藤エッセイにも流用できる汎用構文です。この段落の本当の強さは、その前の「三時を過ぎると目をこすって、些細なことで泣く」という具体にある。「あいだに立っている」と抽象化した瞬間に、Kくんの三時が消える。立っている、と言わずに、Kくんのコットのそばで何をどう言ったかだけを書けば、葛藤は読者が勝手に立ててくれます。
「これは寝かしつけとは別の、安全のための仕事で、トントンの手を止めてでもやる。」
言っていることは正しいが、説明になっている。「トントンの手を止めてでもやる」と宣言するより、実際に止めた一場面を書くほうが強い。たとえば、Sちゃんを速いトントンで寝かせている最中に五分のチェック時刻が来て、手を止め、立ち上がり、升目を埋め、戻ったらSちゃんがまた目を開けていた——という具体の連続があれば、安全業務と身体技術の並走は説明なしで立ちます。この語り手は手順の人なのだから、手順そのものを書けばいい。SIDSという語を出さずとも、うつぶせを仰向けに戻す動作がすでにそれを語っている(そこは良い)。
残すべきは四つ。速い/遅い/触れられるだけ、の三人分のリズム差、膝の下のバスタオル、五分おきのチェックで止まる手、そして「起きる順番はほとんど毎日同じ」。削るべきは、カーテン越しの午後の光(デビュー作から再発した装置)、「たぶん〜のだと思う」の留保語尾、「小さな対話なのだ」の主題直叙、「あいだに立っている」の汎用構文、そして最終段の決意表明。改稿では、オルゴールの二曲目に曲名を一つ与え、チェックで手を止める動作を一場面の連続として書き、結びはMちゃんの「やめて」かKくんの三時の具体で止めること。意味は升目が運ぶ。決意が運ぶのではない。