廃業の、最後の絵(第二稿)
閉める銭湯から、最後の描き替えを頼まれて

ニシゾノチカ(26歳・銭湯のペンキ絵師4年)

銭湯の壁に富士山を描く仕事をしている。電話は三月の終わりに鳴った。隣の市の店主で、声に覚えはなかった。「うちは夏で閉めます。最後に、新しい絵で閉めたい」。私は段取りを訊いた。休業日はあるか、足場は組めるか、下地は前夜に入れられるか。最後だからどうこうという話は、こちらからはしなかった。

注文はひとつだけだった。「いつもの富士でいい」。それで決まった。特別な絵にしてくれ、なら断る理由を探したかもしれない。いつもの富士なら、いつもの手順がある。手順があるなら、迷う場所はない。

前夜、下地を塗りに行った。古い富士は師匠の代の絵で、青がくすみ、海の縁が茶に寄っていた。白で消す。一度では透ける。二度でまだ稜線が浮く。三度塗って、ようやく壁が白に戻った。これだけ厚く塗られていた絵を、夏に建物ごと壊す。下地の白を眺めながら、私はその段取りのほうを考えていた。乾くのに六時間。明朝、足場を組める。

翌朝、開店前なのにすりガラスの戸が開いた。年寄りが二人、店主に入れてもらって覗いていた。足場の下から声がかかった。「最後の絵かい」。私は刷毛を止めずに、はい、と答えた。一人が、向かいの女湯のほうを顎で指して言った。「あっち側の波な、昔はもっと荒かった。先代が描いた頃は」。それから、今度のはおとなしいな、と言って、二人とも番台の奥へ戻っていった。

手順は変えなかった。空の青を上から置き、白を落として雲を作る。稜線は五センチ詰めて、湯に沈む首の角度に合わせる。ただ、雲を入れる段になって、刷毛が一度止まった。いつもなら考えずに置く位置で、止まった。最後だから多めに、と手が言ったのだ。私は手を戻して、いつもの数だけ雲を置いた。多い雲は、この銭湯の空ではない。

脱衣場には閉店の貼り紙が出ていた。「長らくのご愛顧、ありがとうございました」。その上の壁に、私の富士が架かる。夏まで、数週間。湯が落とされ、建物が壊されれば、絵は壁ごと砕ける。写真は撮る。撮るが、湯気の立った浴室で客が見上げる青は、平らなレンズには移らない。揺れて、滲んで、電灯の赤を吸った青。そこは撮れない。

電灯の下で完成を確かめ、足場を畳んだ。店主が、解体の日に知らせを入れる、立ち会うなら言ってくれ、と言った。砕かれるのを見るべきか、見ないでおくべきか。私はまだ返事をしていない。

鞄には次の現場の地図が入っている。来週は別の市の銭湯で、また足場の上だ。車を出すとき、バックミラーに看板が見えた。湯の字に、もう灯は入っていなかった。私は地図を膝に広げて、まだ見ぬ壁の寸法を確かめた。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。