ヌクイサヤカ(38歳・温泉の湯守18年)
山に湧く湯を、いくつかの宿まで届ける仕事をしている。源泉の温度と湧出量を測り、引湯管を見回り、決まった量を各宿に割り振る。湯守とは、そういう仕事だ。夏の見回りはまだやさしい。本当の仕事は、雪が来てからだと思う。
雪国の冬は厳しく、そして美しい。山が白く沈黙する季節、管の道は夏とは別物になる。一里の山道は雪に埋もれ、長靴では歩けない。かんじきを履いて、踏み固めながら一歩ずつ進む。夏なら半日の見回りが、冬は丸一日かかることもあった。それでも歩く。歩かなければ、湯が止まるからだ。
凍結の弱点は、地上に出ている管の継ぎ目だ。土に埋めた区間はめったに凍らないが、沢を渡るところや段差では、管が地表に顔を出す。そこに保温材を巻いてある。冬の見回りでいちばん見るのは、この保温材の巻きだ。雪や風で剝がれていないか、継ぎ目から冷気が入っていないか。剝げていれば巻き直す。指がかじかんでうまくいかないこともあったが、なんとかやり遂げた。
漏れを見つけるのは、冬のほうがやさしいのかもしれない。雪の上に、ぽつりと黒い土が出ている場所がある。管から漏れた湯気が、雪を下から融かした跡だ。夏は草に隠れて見えない小さな漏れも、冬は雪が場所を教えてくれる。雪に教わって継ぎ目を締め直すたび、自然というのは不思議なものだと思った。
夜の冷え込みがいちばん怖い。湯が流れているうちは凍らないが、流れが細ると、管の中の湯が夜のあいだに冷えて、朝には凍っている。だから冬は、夜も流量を落とさない。各宿には申し訳ないが、夜のあいだも湯を多めに流し続けてもらう。止まったら凍る、凍ったら割れる、割れたら春まで直せない。循環を止めないことが、すべてだった。
雪は、管の上にも積もる。沢を渡す区間では、管が雪の重みでたわむ。支持金具が雪の荷重を支えきれずに外れれば、管が落ちて折れる。だから雪の深い朝は、管の上の雪を落として歩く。重さを抱えた管に手を当てると、金具が軋んでいるのがわかる。緩んだ金具を締め直しながら、冬の山の重さを思った。
宿からの電話は、冬に増える。「湯がぬるい」。源泉は九十二度あるのに、雪の中を一里も旅してくるあいだに、湯は冷えていく。夏より落ちる。保温材を点検し、流量を確かめ、それでも足りなければ謝る。源泉から浴槽までの長い旅で、湯は少しずつ温度を落としていくのだ。冬はその損失が、いちばん大きくなる。
春が来て雪が解けると、冬のあいだの小さな傷が見えてくる。たわんだままの管、緩んだ金具、薄くなった保温材。一つずつ手当てしていく。冬を越えるのが湯守なのだ。雪に耐え、凍結と戦い、春に傷を直す。そうやって、また次の冬に備える。山の湯は、こうして守られていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。