ヌマクラエミ(48歳・整経職人26年)
整経は、織機に経糸(たていと)をかける前の工程だ。何百本、何千本の糸を、決めた本数と長さと張りで揃え、ビームという太い円筒に巻き取る。私の仕事は、ビームを巻き上げたところで終わる——はずだった。けれど、巻いた糸が本当に布になるかどうかは、機屋(はたや)の織機にかけてみなければ分からない。だから私は、しばしば納めたビームの織り出しに立ち会う。整経の、答え合わせのために。
ビームは重い。経糸を満載した円筒は、太さもさることながら、巻きの密度で見た目より重い。軽トラの荷台に乗せるとき、私はいつも腰を落とし、円筒の芯の鉄棒を両端で持つ。中心がぶれれば、巻いた糸の端が荷台の縁に擦れる。何千本の張りを揃えてきたものを、運搬の数分で台無しにはできない。機屋までは車で十五分。産地のなかの、よく知った道だ。
機屋に着くと、まず前のビームの残りが織機にかかっている。私の納めた新しいビームは、その糸が織り終わるのを待って、つなぎ替えられる。経糸の接続——前の糸の一本一本と、新しい糸の一本一本を、結んでいく作業だ。千本あれば千の結び目。機結び(はたむすび)という、糸を継ぐためだけの小さな結びで、機屋の職人がそれを一日かけて結ぶ。私の揃えた順番が、前の糸の順番とぴったり合っていれば、結びはただ淡々と進む。順番がずれていれば、そこで初めて私のしくじりが露見する。
結びが終わると、織り出しだ。織機が動き出し、緯糸(よこいと)が打ち込まれ、布が最初の数十センチを織り上げていく。私はその数十センチを、息を詰めて見ている。柄が、設計図どおりに出ているか。クリールに立てた色の配置が、そのまま反物の柄になって現れる、その最初の瞬間。緊張の数分というのは、たぶんこういう時間のことを言うのだと思う。柄が合っていれば、私はようやく息をつく。
けれど、いつもきれいに出るとは限らない。先日も、織り出して三十センチほどのところで、機屋の年寄りが織機を止めた。「ヌマクラさん、この筋、おたくの糸かね」。布の端のほうに、細く、密度の変わった筋が一本。整経起因の織りむらか、それとも織り起因か。私たちは織機の前にしゃがんで、その一本を指で辿った。緩んだ経糸なら整経の責任、緯糸の打ち込みのむらなら織りの責任。切り分けの調査は、たいてい無言で始まる。
その筋は、結局、織り起因だった。緯糸を送る部品の調子で、打ち込みが一瞬詰まっていた。年寄りは「すまんね、呼びつけて」と言って、また織機を動かした。整経の責任でなかったことに、私はほっとした——のかもしれない。けれど、ほっとしてよかったのかどうか、いまでもよく分からない。私の揃えた糸が、誰かの不調を一度は疑われる場所にある、ということだから。
調査が済むと、年寄りはたいてい昔話をする。この産地に機屋が何十軒あった頃のこと。整経屋も染め屋ももっとあって、注文が産地のなかをぐるぐる回っていた頃のこと。「いまはあんたんとこと、うちと、染めの一軒で、やっと一反だ」。分業というのは、つまり人間の数だけの工程があるということで、その人間が一人ずつ減っていくのを、年寄りは数えるように話す。私は相槌を打ちながら、湯呑みのお茶を飲んだ。産地の絆というものが、もしあるとすれば、こういうお茶のことなのだろう。
帰りぎわ、年寄りに急ぎの注文を頼まれることがある。織機を止めるわけにはいかないから、次のビームを特急で巻いてくれ、と。織機が止まれば、染め屋への納期がずれ、問屋への納期がずれ、産地の納期の連鎖がそこから狂っていく。だから私は、その晩のうちにクリールの前に立つ。特急の整経というのは、私一人の都合では始まらない。産地のいちばん上流にいる者の、断れない仕事だ。
自分の巻いた糸が、布になって戻ってくる。正確には、布になる瞬間に立ち会いに行く。整経は産地の分業のいちばん最初にあって、私の揃えた順番が、機屋の結びになり、織り出しの柄になり、やがて反物になって産地を出ていく。循環のなかの位置を引き受けること、それが整経なのだと、機屋の織機の前に立つたびに、私は思うのかもしれない。今日も一本のビームが、私の手を離れて、誰かの織機を待っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。