骨の、反り
十四歳の冬、凧は絵ではないと教わるまで

オボロサキ(38歳・和凧職人24年)

子どものころ、空に上がっていくものに、ずっと憧れていた。風に乗って高く高く昇っていく凧を見上げては、自分もいつかあんなふうに自由になりたいと思っていた気がする。だから十四歳で家業の凧屋を手伝い始めたとき、私は絵を描かせてもらえるのだとばかり思っていた。

うちは江戸凧も地方凧も作る家だった。祖父の代から続く凧屋で、正月や祭りが近づくと、土間には削りかけの竹と、貼る前の和紙が積み上がった。私は絵心があるとよく褒められていたから、てっきり絵付けから始めるものだと思っていた。けれど祖父が最初に私の前に置いたのは、絵の具でも筆でもなく、一本の竹だった。

「凧は絵じゃない。骨だ」。祖父はそう言った。「骨の反りが風を逃がす。逃がし方が揚がり方だ」。意味がよく分からなかったと思う。私はただ、早く絵を描きたかった。竹を削るのは絵を描くための準備にすぎないと、そのころの私は考えていたのかもしれない。

竹骨は、左右で対称でなければならない。けれど対称というのは、見た目が同じということではなかった。削りの厚みで、竹の反り方が変わる。厚ければ硬く、薄ければよくしなる。左右の反りが揃っていないと、凧は風をはらんだとき片側だけ深くしなって、くるくると回って落ちる。祖父は私の削った骨を両手で持ち、目の高さに掲げて、ほんの少し撓ませた。それだけで、反りが揃っているかどうかが分かるようだった。私の最初の骨は、左が厚すぎた。

糸目というものがある。凧の表に何本もの糸をつけ、それを一点に束ねて揚げ糸につなぐ、その糸のことだ。糸目の本数と、つける位置と、長さの配分で、凧が風に対してどれだけの角度で立つかが決まる。揚がらない凧というのは、たいてい絵が悪いのではなく、糸目が悪い。前のめりに突っ込む凧は糸目を上へ、寝てしまう凧は下へ。風の中での角度を、地上の糸の幾何学で決めてしまう。私はこの糸の理屈に、いちばん長く手こずった気がする。

絵付けには順番がある。紙を骨に貼ってから描くか、描いてから貼るか。和紙は墨や絵の具を吸うと伸びる。貼ってから描けば、乾いたときに紙が突っ張って絵が引きつる。描いてから貼れば、骨の段差で線がにじむ。どちらを取るかは、絵の太さと紙の厚みで変わる。にじみは失敗ではなく、計算するものだった。祖父はにじむ場所をあらかじめ見越して、墨の量を加減していた。

作った凧は、必ず揚げた。祖父はこれを検品と呼んでいた。河原に出て、風の中で、凧が立つかどうかを見る。土間でどれだけ立派に見えた凧でも、揚がらなければ凧ではない。風の中だけが答え合わせの場所だった。初めて自分の凧が、糸を引きながらすっと立ち上がって空に納まったとき、私は絵のことなどすっかり忘れていた。骨が、糸目が、合っていた。それだけのことが、どうしようもなく嬉しかったのだと思う。

正月や祭りには、大凧の注文が来た。畳何枚分もある凧は一人では作れない。骨を削る者、紙を継ぐ者、糸目を取る者。町内が集まって一枚を作り、祭りの空でそれを揚げ、ときに他の町内の凧と糸を絡めて落とし合う。凧合戦である。淡々と続いてきた行事だ。後年、洋凧——ナイロンと樹脂骨のカイトも触ったが、素材は違っても、風をはらんで逃がすという理屈は、和凧の竹と紙とまったく同じだった。揚がる理屈に、洋も和もなかった。

あれから二十四年、私は凧を作り続けている。いまでは分かる。私はあの冬、絵を描く人ではなく、風の逃がし方を見る人になったのだ。骨の反りで風を逃がし、糸目で角度を決め、にじみまで計算する——その風の逃がし方が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。土間には今日も、削りかけの竹が静かに積み上がっている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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