昨夜、丸をつけた(第二稿)
——音読カードの、つけた夜とつけなかった夜について

マツモトヒナ(育児家事コーディネーター)

明日の夜は「ちょっと読んでみせて」と言ってみよう、と昼のうちは考えている。言える。言えるはずだ。子はランドセルを玄関に放り、水筒の麦茶が最後の一口だけ残っている。カードはまだ白い。夕方の私はまだ強い。

公園のベンチで、ママ友が紙コップを片手で持ったまま言った。「うちも実はね、昨日つけちゃった」。ベンチの緑の塗装は座面の真ん中だけ剥げて、木地が灰色に出ている。そこに座ると太ももの裏がざらつく。彼女はそのざらつきの上で、もう一度言い直した。「つけちゃった、じゃなくて、つけた」。

言える相手がいる夜に、私は救われている。同時に、救われていることで何かから逃げている気もする。どちらも本当で、どちらかを選ばないまま家に帰る。

夜。九時半。子は布団のうえで途中まで何かを喋って、喋りながら口を半開きにしたまま寝た。枕カバーに小さく涎のあとがつく。机の上に音読カードが出してある。今週の欄は、月曜と火曜だけ丸がついていて、水曜が空白。鉛筆で一度書いて消した跡が、わずかに紙を凹ませている。前の週の丸は、角のほうがインクで少しにじんでいる。

ペンを置いた。置いたのに、指先が動いた。

置いた、のに、動いた。主語は私のはずで、私ではない。

丸はきれいに閉じた。少し傾いた、きれいな丸だった。

同じ学年に、毎晩ちゃんと読んでいるのに丸がつかない子がいるらしい、という話を、私はママ友から聞いた。聞いただけで、その子の顔も、その家の台所の匂いも知らない。知らないまま書くのは嘘になるから、ここではそれ以上書かない。聞いた、という事実だけを置いておく。

先生はたぶん気づいている。気づいていて、何も言わない。言わないことが優しさなのか、見ないふりなのか、私には判じられない。

同じ手

以前、子の宿題に、どこまで赤ペンを入れるかで、赤を入れる手のことを書いた。あのときの手と、昨夜丸をつけた手は、同じ手なのに同じ手ではない。指の関節のかさつきも、爪の白い部分の長さも、同じはずなのに。

手はページを破ることもできる。そのことだけは、はっきり書いておく。破らないのは、破らないと選んだからではなく、ただ破らなかっただけだ。

丸をつけたあとの、となりに座る五分。子は寝ている。読んではいない。見ている人は誰もいない。見ている人がいないから、その五分は私のものか、誰のものでもないのか、わからない。

明日も、たぶん私はまた丸をつける。つけたあとで、隣に座る。

← 第一稿:昨夜、丸をつけた
辛口レビュー(第一稿へのもの)
関連:子の宿題に、どこまで赤ペンを入れるか
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。