核は強い。名前を彫った工具が取りに来られないこと、ビニール傘ではなく持ち手のお守りを三日かけて探しに来た男、電話口の「諦めの早さ」の個人差。この三点だけで一本立つ。とくに「お金は諦めがつくが、思い出は諦めがつかない」は、値段と値打ちが別だという作品全体の背骨を、観察として支えている。問題は、書き手がその観察を信用せず、擬人化と留保語尾で表面をなぞり、最終段で主題を自分の口から解説して回収してしまっていることだ。番号を振る人が語り手なら、語りは番号と日付の手つきで進むべきで、情緒で進んではいけない。
「物に事情を想像しすぎないことが、この仕事の作法なのだ。そう自分に言い聞かせながら、私は今日も、現れない番号の上に横線を引いている。」
主題を主題文として書き、ついでに自分を赦して終わっています。「想像しすぎないのが作法」は、すでに第六段で「自分に課した訓練だった」と一度言ったことの言い直しで、二度言えば値打ちは半分になる。しかも直前の第七段で、語り手は工具のことを思いきり想像してしまっている。作法を破った直後に作法を唱えるのは、感動の判子を自分で押す動作です。横線を引く手で締めるのも、余韻の偽装。読者に渡すべき空白を、作者が先に塗りつぶしている。
「期限が来れば、棚で静かに眠っていた物たちを、私は順に下げていく。」
「静かに眠る物たち」は、無人の倉庫を安く詩にするための既製部品です。この語り手は物に番号を振る人であって、物に寝顔を見る人ではない。番号を振る人にとって、期限切れの物は「眠っている」のではなく「消し込まれていない番号」のはずです。擬人化した瞬間に、十二年の職業の目が、誰でも書ける感傷の目にすり替わっている。デビュー作のレビューでも同じ穴を指摘されたはずで、ここは退歩です。
「お金は諦めがつくが、思い出は諦めがつかないのかもしれない、と思う。」「来られなかったのか、来なくてよくなったのか、私には分からない。」
前者の観察は鋭い。鋭いのに「のかもしれない、と思う」で自分から角を丸めている。台帳に数字を打って生きてきた語り手は、粘る電話と諦める電話を何百と数えてきたはずで、ここは「思い出は諦めがつかない」と言い切ってよい。後者の「分からない」は、第七段では効く留保だが、作品にこの手の「分からない」「かもしれない」が多すぎて、観察の留保なのか作者の保険なのか区別がつかなくなっている。断定すべき所で断定しないと、本当の留保が薄まる。
「保管期限は決まっている。現金や貴重品は法律の定めで、傘や衣類は社の規定で、それぞれ日数が違う。」
「それぞれ日数が違う」は概念であって観察ではない。十二年この日数で働いてきた人なら、口を突いて出るのは数字です。傘は何日、現金は何日、警察へはいつ引き継ぐ。一つでいいから具体的な日数が出れば、引き継ぎ簿も棚卸しも一気に本物になる。第二段は規定の名前を並べただけで、語り手の手がその規定をどう運用しているかが見えない。職業の細部は、説明ではなく数字と動作で出すものです。
「柄に名前を彫った工具。」/「名前を彫った工具だ。彫るには時間がいる。」
この作品でいちばん強い物なのに、工具が何の工具かが最後まで書かれない。鑿か、玄能か、墨壺か。彫った名前が職人の屋号なのか個人名なのかも分からない。「彫るには時間がいる」は一般論で、実物を握った手の感触がない。番号を振る人なら、台帳の品名欄に「工具」とは書かないはずで、「鑿 柄に〇〇と彫り」と書くはずです。いちばん効く物を、品名でしか見ていない——これは、この語り手が「品名ではなく組み合わせを見る」と決めた人だったことを思えば、自己矛盾でもある。
「物の値段と、物の値打ちは、別のところにある。」
お守りの傘の段に置かれたこの一文は、直前の事実(百円の傘を三日かけて、お守りのために探しに来た)がすでに完璧に言っていることを、わざわざ抽象語で要約しています。三日通った、お守りのためだった、と書いた時点で読者は値段と値打ちの差を受け取っている。そこに「別のところにある」と添えるのは、落ちのあとに落ちを説明する所作。男の三日が運んだ意味を、一文の説明が回収して目減りさせている。
「私はそれを下げながら、持ち主の事情を想像してしまう。」「物に持ち主の事情を想像しすぎないこと。」「それでも、想像してしまう一個がある。」
「(持ち主の)事情を想像してしまう/しすぎない」は、この作品に三度くり返される手癖の言い回しで、看護師の回想にも遺品整理人の回想にも、そのまま置けます。想像した中身(弁当箱の角の擦れ具合を見たのか、参考書の書き込みの筆跡を読んだのか)を書かなければ、語り手は何も想像していないのと同じ。「想像してしまう」と書くことは、想像することの代わりにはならない。三度のうち、実際に何かを見ている一度だけを残すべきです。
残すべきは四つ。名前を彫った工具(ただし実物の品名で)、お守りのために三日通った男、諦めの早い電話と粘る電話の対比、そして棚卸しの日に遅くなる手。削るべきは、眠る物たちの擬人化、規定を名前で並べただけの第二段、最終段の主題解説と自己赦し、そして三度出る「事情を想像してしまう」のうち二度。改稿では、保管期限を一つでいいから日数で書いて引き継ぎ簿と棚卸しに体重を乗せ、工具を品名で握り直すこと。値段と値打ちの差は、男の三日が運ぶ。説明が運ぶのではない。