オニヅカメイ(34歳・鉄道の忘れ物センター係12年)
忘れ物には番号を振り、棚に並べる。受付の日から数えて期限まで置く。多くは持ち主が現れて消し込まれるが、現れない番号もある。期限が来れば、棚で静かに眠っていた物たちを、私は順に下げていく。十二年、その作業をくり返してきた。
保管期限は決まっている。現金や貴重品は法律の定めで、傘や衣類は社の規定で、それぞれ日数が違う。期限を過ぎた現金や貴重品は、引き継ぎ簿に書いて警察へ渡す。鞄や衣類の落とし物は、所定の手続きで処分するか、まとめて売却に回す。傘は、傘だけで山になる。誰の手にも戻らなかった傘の山が、毎月どこかへ運ばれていく。
不思議なのは、来ると思った物が来ないことだ。手作りらしい弁当箱。書き込みでびっしりの参考書。柄に名前を彫った工具。これは絶対に取りに来るだろう、と私は思う。こんなに手をかけた物を、人が惜しまないはずがない。そう思うのに、その番号ほど消し込まれずに残る。期限の日、私はそれを下げながら、持ち主の事情を想像してしまう。
逆に、来ないと思った物を、執念で探しに来る人もいる。あるとき、コンビニのビニール傘を、三日かけて探しに来た男性がいた。一本百円ほどの、どこにでもある傘である。けれど話を聞くと、目当ては傘ではなかった。持ち手にくくりつけた小さなお守りだった。傘はどうでもよかった。お守りのために、彼は三日通った。物の値段と、物の値打ちは、別のところにある。
問い合わせの電話には、諦めの早さに個人差がある。「ないですか、そうですか」と一度で切る人。番号を控え、翌日もまた掛けてくる人。同じ「黒い鞄」でも、声の粘りがまるで違う。粘る人ほど、たいてい中身が貴重品ではなく、思い出の品だった。お金は諦めがつくが、思い出は諦めがつかないのかもしれない、と思う。
棚卸しの日が、いちばん感情の置き場に困る。九十日前の自分が振った番号を、消えないまま下げていく。弁当箱を処分の伝票に書き換えるとき、私の手は少しだけ遅くなる。けれど、いちいち止まってはいられない。リストには下げるべき番号がまだ何十とある。物に持ち主の事情を想像しすぎないこと。それが、この仕事を続けるために、自分に課した訓練だったと思う。
それでも、想像してしまう一個がある。名前を彫った工具だ。彫るには時間がいる。名前を入れるのは、無くしたくないからだ。無くしたくない物を、その人は取りに来なかった。来られなかったのか、来なくてよくなったのか、私には分からない。分からないまま、私はその番号を下げ、リストの行に横線を引いた。
十二年で、いくつの番号を見送ったか分からない。現れる持ち主のことは、肩の下がる顔とともに忘れていく。けれど、現れない持ち主のことは、なぜか残る。貴重品でも思い出の品でもない、ただ現れなかったという一点が、棚に影のように残るのだ。物に事情を想像しすぎないことが、この仕事の作法なのだ。そう自分に言い聞かせながら、私は今日も、現れない番号の上に横線を引いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。