核は強い。誘導棒を下げて車の「ひと呼吸」を待つ手、年に二回だけ会う「彼岸だけの家族」、盆と彼岸で車の重さが違うという観察、そして閉門後に紺色の車のそばで待つ夕方。この四点は、駐車場の係に立った人間にしか書けない。問題は、書き手がその四点を信用せず、晴れた空と線香の煙で場面を立ち上げ、最終段で「定点観測」と主題を名指しして全部を回収してしまっていることだ。前作で水場の桶を几帳面に数えたあの語り手が、今作では肝心の数を曖昧にしている箇所がある。職業エッセイは、職業の手つきが緩むと核まで嘘に見える。
「彼岸の駐車場は、私にとって家族の定点観測なのだ。台帳には載らない、年に二回の出席簿。誘導棒を持って立つ一日が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。」
三重に蛇足です。第一に「家族の定点観測」は、本文が動作で示したことを抽象語で言い直した要約。第二に「年に二回の出席簿」は、その要約に貼った比喩のリボン。第三に「私をいまの私にしてくれた」は前作の結びの使い回しで、どの起源神話エッセイの末尾にも貼れる汎用シールです。読者が自分で「ああ、これは出席簿だ」と気づく余白を、作者が三回先回りして埋めている。
「秋分の朝、空はよく晴れて、線香の煙が遠くからやわらかに立ちのぼっていた。」
晴れた空、遠くの煙、やわらかさ。三点セットで「情緒ある彼岸」を安く調達しています。しかもこれは前作の「線香の煙が遠くから静かに立ち上っていて」とほぼ同じ書き割りで、自己模倣にもなっている。駐車場の係が中日の朝にまず体で受けるのは、抒情ではなく、排ガスとアスファルトの照り返し、誘導棒の電池が生きているかの確認、三脚の札がぐらつかないかのはずです。雰囲気が人物より先に立っている。
「その人の時間を踏まないと思った。」「来年の春の彼岸、私はまたこの人の顔を、駐車場で見るのだろう。」
前作のオリベは、毎月十四日に減る桶を「たぶん本人より几帳面に」数えた断定の人でした。その同じ語り手の回想が「〜と思った」「〜のだろう」で締まるのは、人物の弱さではなく、言い切りを避ける作者の保険に見える。とくに紺色の車の人を「また駐車場で見るのだろう」と推量で逃がすのは惜しい。年に二回必ず来る顔だと本文が言っているのだから、ここは「また見る」と言い切るべきで、推量にした瞬間に観察の確度が下がります。
「白いセダンの、後部座席にいつも子どもを二人乗せた家族。軽トラックで来て、荷台から大きな花を下ろすお年寄り。」
惜しいところまで来ているが、まだ「概念の家族」です。誘導棒を持って車の中が見える、と本文は言った。ならば見えるのは「子ども二人」ではなく、チャイルドシートの角度、後部のドアロックを内側から外す音、毎回同じ位置に貼られた駐車許可証の擦れ具合のはずです。前作の「毎月十四日の昼過ぎ」「期限の残り、二十九日」の解像度が、ここでは出ていない。この語り手の強みは数と細部の固有名なのに、今作の家族はカタログ写真にとどまっています。
「倉庫から出した三十二本が、朝のうちにみな出払う。返ってこない桶のことは、その日は考えないことにしている。」
これは前作の語り手なら絶対に書かない一文です。前作の彼女は「夕方に戻らない柄杓はだいたい三、四本」と、戻らない数を必ず数えた人だった。その人物が「考えないことにしている」で桶の勘定を放棄するのは、人物の一貫性の破綻です。彼女が「考えない」わけがない。むしろ彼岸の夕方、何本戻らなかったかを誘導棒を畳みながら数えてしまう——それがこの語り手の手つきのはずで、ここで数を捨てたぶん、職業の信憑が一段落ちています。
「盆の車は荷物で重く、彼岸の車は軽い。同じ満車でも、駐車場の空気が違う。」
前半の具体——県外ナンバー、旅行鞄、地元ナンバー、二三人で一時間——がすでに十分に効いているのに、最後で「重い/軽い」「空気が違う」と要約してしまっている。比喩としての「重い・軽い」は悪くないが、その直後に「空気が違う」と平板な総括を足したことで、せっかくの具体が結論のための前置きに格下げされる。観察を出したら、結論は読者に渡してよい。
「急かす理由はない。」
この一文は、レジ係の回想にも、病院の受付の回想にも、そのまま置ける。なぜ急かさないのか——閉門時刻の規程と、その人の事情と、係としての自分の立場のあいだで何を選んだのか——が書かれていないので、優しさの記号だけが残る。前作で「見ないのが作法だと教わった」と職業倫理を一行で立てたように、ここも「閉門は五時、だが係が車のそばに立てば規程上はまだ場内」のような職業の論理で支えれば、優しさが手続きの言葉に化けて強くなります。
残すべきは四つ。誘導棒を下げて待つ「ひと呼吸」、名前を知らない彼岸だけの家族、盆と彼岸の車の重さの違い、閉門後に紺色の車を待つ夕方と坂を下る線香の匂い。削るべきは、晴れた空と煙の書き割り、留保語尾、最終段の「定点観測/出席簿/いまの私」三連の解説。改稿では、桶を「考えない」のではなく戻らなかった本数を数えさせ、家族はカタログではなく一組に絞って固有の細部(チャイルドシート、許可証の擦れ)で書き、紺色の車の人は「また見る」と言い切ること。意味は、数と動作が運ぶ。比喩と総括が運ぶのではない。