オリベシズカ(55歳・市営霊園の管理事務30年)
彼岸の中日になると、私は台帳の人ではなくなる。誘導棒と帽子を渡され、駐車場の係として表に立つ。普段は窓口の奥で名義を記録している私が、その日は車を捌く人になる。秋分の朝、空はよく晴れて、線香の煙が遠くからやわらかに立ちのぼっていた。
うちの駐車場は六十台ぶんしかない。彼岸の中日は、九時すぎにはもう半分が埋まる。十時半に、私は「満車」の札を入口の三脚に立てる。札を出す時刻は、毎年だいたい同じだ。立てた瞬間から、坂下の市道に車の列ができはじめる。臨時の警備員を二人、シルバー人材センターから手配してあるが、それでも足りない年がある。
誘導棒を持って立っていると、車の中が見える。これは、立ってみるまで知らなかったことだ。フロントガラス越しに、後部座席の花束と桶が見える。助手席で数珠を出している手が見える。エンジンを切ってから、降りるまでにひと呼吸ある車がある。そのひと呼吸のあいだ、私は誘導棒を下げて、待つ。
花屋が屋台を出す。霊園の入口の、いつもの場所だ。菊と樒を束にして、彼岸の三日だけ売る。桶の貸し出しには行列ができる。十二本の常設では到底足りないから、倉庫から出した三十二本が、朝のうちにみな出払う。返ってこない桶のことは、その日は考えないことにしている。
同じ顔に、何度も会う。年に二回、春と秋の彼岸だけ来る家族が、何組もいる。白いセダンの、後部座席にいつも子どもを二人乗せた家族。軽トラックで来て、荷台から大きな花を下ろすお年寄り。私はその顔を覚えている。けれど名前は知らない。台帳のどこかには名義として載っているはずなのに、駐車場で会う彼らと、台帳の四文字とが、私の中で結びつかない。彼岸だけの家族、と私は心の中で呼んでいる。
お盆の混雑とは、質が違う。盆は帰省とセットだから、県外ナンバーが多く、車には旅行鞄が積んであり、家族の人数も多い。来て、何泊かして、その途中で寄る。彼岸は日帰りだ。地元のナンバーで、二人か三人で来て、一時間ほどで帰っていく。盆の車は荷物で重く、彼岸の車は軽い。同じ満車でも、駐車場の空気が違う。
夕方、閉門の時刻になっても、一台だけ出てこないことがある。今年もそうだった。坂上の区画のほうに停めた、紺色の車。私は誘導棒を畳んで、その一台のそばで待った。急かす理由はない。閉門の見回りに行けば会えるが、車のそばで待つほうが、その人の時間を踏まないと思った。線香の匂いが、坂を下って駐車場まで届いていた。彼岸の夕方は、駐車場まで匂いの届く日だ。
やがて、坂の上から人影が下りてきた。手に空の桶を提げている。私は会釈をして、ゲートを開けた。紺色の車は、ヘッドライトを点けて、ゆっくり坂を下っていった。テールランプが市道に出て、左へ消えた。来年の春の彼岸、私はまたこの人の顔を、駐車場で見るのだろう。
彼岸の駐車場は、私にとって家族の定点観測なのだ。台帳には載らない、年に二回の出席簿。誘導棒を持って立つ一日が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。満車の札を片づけ、三脚を畳んで、私はまた窓口の奥の、台帳の人に戻る。誘導棒は、来年の春までしまっておく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。