核は強い。止まった段を階段として降りるときの「体だけが昔の動きを覚えている」つんのめり、コムの歯を一本ずつ数える手つき、ステップ下から出てくる落とし物に百円玉だけが少ない、無人のまま回り出す開店前のエスカレーター。この四点だけで一本立つ。問題は、書き手がその四点を信用せず、閉店後の静寂を既製の書き割りで立ち上げ、最終段で「本領」を自分で言葉にして自分を赦してしまっていることだ。施設管理者という、距離を測り誤差を数字で書く人物を語り手にしながら、肝心の数字が一度も出てこない。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「静寂が、まるで何かを待つように、フロア全体に満ちていた。」
「静寂が何かを待つように満ちる」は、深夜の建物を書く文章のどこにでも貼れる安いシールです。デビュー作で「屋上で私の耳に残ったのは、その二つだった」(錠前の音と硬貨の音)と書いた人物が、なぜ夜の百貨店では具体音を一つも拾わないのか。本当に三十六年そこにいたなら、満ちるのは「静寂」ではなく、空調が落ちたあとに残る変圧器のうなりか、自分の靴音か、止めたばかりのエスカレーターのモーターが冷えていく音のはずです。雰囲気が人物より先に立っており、生成された“それっぽさ”の典型。
「人は、価値のあるものほど、しっかり握っているのだろう。それとも、と思うが、考えても伝票に書く欄はない。」
この語り手は距離を測り、許容値と照らして「異常なし」と断定する職業の人間です。その人物の観察が「〜のだろう」で締まると、断定を避ける作者の保険に見える。デビュー作の決定版(第二稿)では同種の感慨を「これは気のせいではない。雨の屋上に客は来ない」と理屈で断定していました。今回もそれができるはずで、「百円玉はめったに落ちていない」という事実だけ置けば、解釈は読者がやる。語り手が自分で「のだろう」と薄める必要はない。
「むしろ、止まった機械にこそ、施設管理の本領があるのだと、私はこの夜の点検のたびに思うのだった。」
致命傷はここです。エッセイの主題を、主題文として書いてしまっている。「止まった機械にこそ本領」は、止まったエスカレーターを階段として降りる段(つんのめりの段)がすでに全部・しかも身体で言っていることです。それを抽象語で言い直すたびに、つんのめりの値打ちが下がる。しかも「思うのだった」という自己陶酔の語尾で、作者が自分の発見に感心して終わっている。デビュー作の第二稿が末尾を「箱の重さは、まだこの手が覚えている」という動作と所有で閉じたのを思い出してください。意味は動作が運ぶ。解説が運ぶのではない。
「押すと、機械は急には止まらない。少しだけ進んで、それから止まる。この「少しだけ」が規定の範囲に収まっているかを確認する。」
この語り手は、デビュー作で「停止位置から二センチ手前で止まった。許容は五センチ。範囲内だ」と書いた人間です。距離を数字で押さえ、許容値と照らすのが、この人物の信用の根拠でした。それなのに緊急停止の場面が「少しだけ進んで」「規定の範囲」という曖昧語で済まされている。停止距離には基準値(何センチ以内、というJIS的な許容)があり、それを測って手帳に書くのがこの人の手つきのはず。数字を一つ入れないと、職業の論理が消え、ただ「点検っぽいこと」をしている人に見えます。
「だから一本でも折れていれば、その場で交換する。新しいコムは、まだ手の脂がついていなくて、よそよそしく光っていた。」
コムプレートは歯が一本ずつ独立して交換できる部品ではなく、歯の並んだ一枚の板(櫛板)ごとビス留めで交換するのが普通です。「一本でも折れていれば、その場で交換する」が、一本だけ差し替えるように読めてしまう。実際に毎晩やっている人間なら、外すビスの本数、板の単位、欠けた歯がどこへ消えたか(噛んで割れたのか、摩耗で丸まったのか)まで書けるはずです。「よそよそしく光っていた」という擬人化の叙情で、運用の具体を肩代わりさせている。ここは叙情ではなく手順で見せる場所です。
「それでいい。見られないことが、いちばんの異常なし、なのだから。」
「異常なし」はデビュー作で一度だけ、閉園する遊具に書いた最後の一行として効いた言葉です。それを今回、説明のオチとして「いちばんの異常なし、なのだから」と再利用すると、警句に格下げされる。しかもこの一文は、警備員の回想にも、夜勤の看護師の回想にも、そのまま置ける。固有名詞も具体物もない、きれいなだけの締めです。せっかくの「異常なし」を、二回目で安売りしている。
「頭では止まっていると分かっているのに、足のほうは、まだ動くものだと思っている。動かない機械の上で、体だけが昔の動きを覚えている。」
これは第一稿でいちばん良い箇所です。だからこそ惜しい。「頭では分かっているのに足は思っている」と一度説明したうえで、「体だけが昔の動きを覚えている」ともう一度言い直している。二回言うと、一回目の身体感覚が二回目の抽象に吸収されてしまう。段の高さの違い(蹴上げの数字でもいい)と、つんのめる体だけを書けば、「昔の動きを覚えている」は読者の中で勝手に起きる。良い核ほど、説明を添えない。
残すべきは四つ。止まった段を降りるときのつんのめり、コムの歯(と落とし物に百円玉だけ少ないこと)、緊急停止の停止距離、無人のまま回り出す開店前のエスカレーター。削るべきは、冒頭の「静寂が満ちる」書き割り、留保語尾の「のだろう」、最終段の「本領」の自己解説と「思うのだった」、二回目の「異常なし」。改稿では、停止距離を実際の数字(許容センチ)で押さえて職業の信用を立て直し、つんのめりは身体の描写一本に絞り、ラストは解説抜きで、回り出すエスカレーターの音か動作で閉じてください。意味は動作が運ぶ。説明が運ぶのではない。