核は強い。名前を呼ばずに「青いシャツの、五歳くらいの男のお子様」と呼ぶ規則、取り乱すのは親のほうで当人はソファで飴玉をなめている逆転、そして閉店の「蛍の光」をボタンで流す係であること。この三点で一本立つ。問題は、書き手がその三点を信用せず、防音ドアと静寂の書き割りで部屋を立ち上げ、最終段で「声だけが店を泳ぐ」と主題を解説して締めてしまっていることだ。エスカレーターと屋上の二作で身につけたはずの、許容値・数字・手の感触という武器が、今作ではほとんど抜かれている。声の仕事だから物がない、では言い訳にならない。マイクにも原稿にもチャイムにも、必ず数字と手つきがある。
「けれど、それでよかったのだと思う。姿を消して、声だけになって、見知らぬ親子のあいだを取り持つ。声だけが店を泳ぐ、それが放送なのだ。」
自分で判子を押して終わっています。「それが放送なのだ」は主題文であって、エッセイの結びではない。「取り持つ」という美しい総括語も、語り手が放送のあいだに実際にやった動作ではなく、あとから貼った意味づけです。前二作の結び——「箱の重さは、まだこの手が覚えている」「三センチを踏み外しそうになる足は、もう私の足にしか残っていない」——は、いずれも身体に残った具体で閉じていた。今作だけが抽象語で閉じている。退化です。
「声と音楽だけが、店内をあてもなく泳いでいる。」
「声が泳ぐ」は、放送をテーマにしたときに生成系がまず出してくる定番の擬人化です。安く詩的で、誰の声でもない。施設管理の人間が放送の伝わり方を語るなら、出てくるのは「泳ぐ」ではなく、スピーカーの位置や、フロアごとの音量差や、エスカレーター付近で声がこもること、のはずです。さらに同じ段の「防音ドアを閉めれば、また静寂が、私を待っていた」も、前二作で批判されたはずの「静寂が満ちる」系の使い回し。冒頭の「静寂だけがそこに満ちていた」と二重に出ており、書き手の手癖になっている。
「子どもの安全を守るための、優しい配慮だったのだろう。」「人は、価値のあるものほど〜」(※前作の癖の再発として)「考えても伝票に書く欄はない。」「先輩から聞いた。」「だったのだろう」
規則の運用で生きてきた人間が、肝心の規則の由来を「〜だったのだろう」「先輩から聞いた」で済ませている。なぜ名前を伏せるのか——その根拠は、この語り手なら伝聞ではなく断定で言えるはずです。実際に名前入りで放送して問題が起きた、あるいは研修でそう叩き込まれた、という一次の記憶があるべき。「優しい配慮」という評語も外部の人間の言い方で、当事者の語彙ではない。
「原稿台のファイルには、定型文が並んでいた。開店、閉店、特売、お忘れ物。」
「定型文が並んでいた」は概念であって観察ではない。本当にそのファイルを毎日めくった人間なら、物として出てくるはずです——透明のクリアポケットに入っているのか、何枚目に迷子があるのか、よく読む頁だけ手脂で黒ずんでいるのか、ふりがなが手書きで足してあるのか。前作の「コムプレートの歯」「百円玉の箱の重さ」に当たる、触れる一点が今作のファイルには無い。チャイムも「ポーン、ポーン」と擬音で逃げており、ボタンが何個並んだどんな機械なのかが見えない。
「点検の報告書が「異常なし」の一行で済むのと、どこか似ていた。」
前二作の説得力は、停止距離「六十センチ以内、今夜は四十二センチ」、機関車の停止「二センチ手前、許容五センチ」という、検査の数字が支えていた。今作はその比喩——報告書に似ている——を口にしておきながら、放送の側に対応する数字を一つも出していない。たとえば迷子放送は何分間隔で何回繰り返す規定なのか、チャイムの後どれだけ間を置くのか、蛍の光は閉店何分前に流すのか。語り手が「決められた抑揚で読む」と言うなら、その「決め」の中身を一つ書かなければ、職業の手つきが嘘になる。
「迷子とは、子どもが迷うことではなく、親が子どもを見失うことなのだ。」
これは本作でいちばん惜しい箇所です。直前に「飴玉をなめ、足をぶらぶらさせている」という完璧な絵がある。子どもがけろっとして親が半泣き、という事実だけで逆転は読者に伝わっている。それを地の文で「迷子とは〜なのだ」と定義し直した瞬間、絵が説明の挿絵に格下げされる。前作レビューの「班長の一言の値打ちが下がる」と同じ病です。定義文は削り、絵に語らせること。
「外の喧騒が嘘のように消え」「倒した瞬間から、私はもう私ではなく、ただの「館内の声」になる。」
「喧騒が嘘のように消え」は防音室を書くときの誰の文でもある常套句。「私はもう私ではなくなる」も、声の仕事・接客・舞台、どの職業エッセイにも貼れる汎用シールで、オリハラミツルである必然がない。匿名性を書きたいなら、観念で「私でなくなる」と言うより、たとえば放送中だけ標準語のアクセントに直す、自分の声がスピーカーで返ってきて他人の声に聞こえる、といった具体の一点で書くべきです。
残すべきは四つ。名前を呼ばず特徴だけで呼ぶ規則、ソファで飴玉をなめる当の子ども、原稿台の定型ファイル、そして閉店の「蛍の光」を流すボタン。削るべきは、防音ドアと静寂の書き割り(冒頭と末尾の二重の「静寂」)、留保語尾、「声が泳ぐ」の擬人化、そして最終段の「それが放送なのだ」という主題解説と「迷子とは〜なのだ」の定義文。改稿では、(1) 名前を伏せる規則の根拠を断定で一行、(2) ファイルか放送機材に触れる物の一点(手脂・クリアポケット・ボタンの数)、(3) 放送に必ず一つ数字(間隔・回数・閉店何分前)を入れ、職業の手つきを取り戻すこと。逆転は定義せず、子どもの飴玉に語らせる。意味は動作と数字が運ぶ。説明が運ぶのではない。