オリハラミツル(59歳・百貨店施設管理36年)
放送室は、施設管理の事務所の隣にあった。三畳ほどの小部屋で、防音ドアを閉めると、外の喧騒が嘘のように消え、静寂だけがそこに満ちていた。机の上には、マイクと、原稿台に立てた一冊のファイルがある。私たち施設管理の人間も、人手の足りない夕方には、よくこの部屋でマイクを握った。声だけが、この小部屋から店内へと放たれていく。
マイクの根元には、カフと呼ばれるスイッチがある。これを倒しているあいだだけ、声が店内に流れる。指を離せば、こちらの音は何も届かない。咳も、ため息も、隣で鳴る電話も。カフを倒す前に、私はいつも一度、息を整えた。倒した瞬間から、私はもう私ではなく、ただの「館内の声」になる。
原稿台のファイルには、定型文が並んでいた。開店、閉店、特売、お忘れ物。状況ごとに一枚ずつ、読み上げる文が決まっている。アナウンスというのは、何も自分で考えてはいけない仕事だ。決められた文を、決められた抑揚で読む。点検の報告書が「異常なし」の一行で済むのと、どこか似ていた。
迷子の放送には、一つだけ特別な決まりがあった。子どもの名前を呼んではいけない。「青いシャツの、五歳くらいの男のお子様」——そう、特徴だけで呼ぶ。名前を放送で流せば、店内の誰もがその名を知ってしまう。悪意のある大人が、その名を呼んで子どもに近づくこともある。だからいつの頃からか、名前は伏せ、特徴だけを読む決まりになったのだと、先輩から聞いた。子どもの安全を守るための、優しい配慮だったのだろう。
迷子の聞き取りは、たいていサービスカウンターでやる。困ったことに、取り乱しているのは、いつも親のほうだった。母親が半泣きで「この子くらいの背で、髪はおかっぱで」とまくし立てるのを、カウンターの係が落ち着かせながら書き取る。何色の服か。ズボンかスカートか。靴は。その特徴が、そのまま放送の文になる。親の記憶のあやふやさが、放送の精度を決めていた。
不思議なことに、当の子どもは、たいていけろっとしている。サービスカウンターのソファに座らされて、係のくれた飴玉をなめ、足をぶらぶらさせている。迷っているという自覚すら、ないように見える。迷子とは、子どもが迷うことではなく、親が子どもを見失うことなのだ。放送で呼ばれているあいだ、呼ばれている本人だけが、いちばんのんびりしていた。
呼び出しのチャイムにも、種類がある。やわらかい二音のものと、少し改まった四音のもの。迷子や呼び出しには、やわらかいほうを使った。「ポーン、ポーン」と鳴らしてから、私はカフを倒す。「お客様のお呼び出しを申し上げます」。この一文だけは、何百回読んでも、最初の「お」で必ず喉が少し締まった。
そして閉店。「蛍の光」を流すのも、この部屋の係の仕事だった。タイマーをセットしておくと、定刻にあの旋律が流れ出す。客はその音を聞いて、ああもう閉店か、と帰り支度を始める。誰も、それを誰かが流しているとは思っていない。放送室という部屋があることすら、客は意識しない。声と音楽だけが、店内をあてもなく泳いでいる。聞く人は皆、それがどこから来るのかを問わずに聞く。
三十六年、私はたくさんの声を、この小部屋から放った。開店を告げ、特売を告げ、迷子を呼び、蛍の光で一日を閉じた。誰も放送室を見なかったし、私も放送のあいだは私ではなかった。けれど、それでよかったのだと思う。姿を消して、声だけになって、見知らぬ親子のあいだを取り持つ。声だけが店を泳ぐ、それが放送なのだ。防音ドアを閉めれば、また静寂が、私を待っていた。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。