オリハシツムギ(28歳・機屋の織り手9年)
一反が織り終わる日は、朝から分かる。経糸を巻いた後ろのビーム——大きな糸巻きだと思ってほしい——の、巻き径が細くなっている。入っているはずの糸が、見るからに少ない。機械の裏に回り込んで、私はその細さをそっと確かめる。九年やってきても、終わりの近づいたビームを見ると、なぜか胸の奥に小さな想いが込み上げてくるのだった。
織りの終わりは、誰かが教えてくれるわけではない。残りの経糸が短くなると、ビームに巻かれた糸の層がうすくなって、芯の鉄の色が透けてくる。あと何メートル織れるか、その透け方で見当をつける。たぶん、長年やっている人ほど、この見当が正確なのだろうと思う。私はまだ、自信を持って言い切れるほどではない気がする。
終わりの瞬間は、いきなりは止めない。緯糸を最後の一越し打ち込んだら、踏み木から足を抜き、はずみ車の惰性が消えるのを待ってから、ブレーキをかける。急に止めると最後の数センチに段ができてしまうから、機械の息が静まるのを待つ。轟音が一台ぶん欠けて、その列だけ穴が空いたように静かになる。九年聞いてきた音の壁に、ぽっかりと、私の手で開けた穴。
布を織機から外す作業を、機下ろしという。巻き取りのローラーから布を解いて、両腕で抱える。このとき初めて、織った布の重さを腕で知る。毎日、目の前を流れていく布の重さを、私はそれまで一度も持ったことがなかった。一反——着物なら一着ぶん——が、こんなに重いとは。腕の中の布は、まだ織機のぬくもりを少し持っているように感じられた。
機下ろしした布は、検反場へ運ぶ。台の下から光の当たる、あの検反台だ。織っている間に見つけたキズには、その都度、耳のところに糸印をつけてある。検反場の光の下で、私はその印を一つずつ確かめ直す。印の位置は、次の裁断の工程に渡る。どこにキズがあるかを記録しておけば、裁つ人がそこを避けて型を置ける。私のつけた小さな印が、見たこともない誰かの手元で役に立つのだ。
一反が下りた織機には、次の経糸を掛けなければならない。機掛けという。新しいビームから出した何千本もの経糸を、一本ずつ綜絖の目に通し、筬の目に通していく。本数は布の密度で決まるが、数千本になる。織っている時間より、この段取りのほうが長くかかることもある。布を織るというのは、織っている時間だけのことではないのだと、機掛けのたびに思い知らされる。
糸を通し終えたら、試し織りをする。最初の数十センチは、まだ本番ではない。打ち込みの拍が揃っているか、経糸の張りが均一か、緯糸がまっすぐ通っているか。その数十センチを織って、検反の光にかざして確かめる。問題がなければ、そこから本番の一反が始まる。新しい布の、いちばん最初の数十センチを、私はいつも少し緊張しながら見ている。
織り上げて送り出した布が、その後どこへ行くのかを、私は知らない。問屋へ渡り、染められ、仕立てられ、どこかで誰かの服になっているのだろう。九年ぶんの布が、私の知らない街の、知らない人の身体を包んでいる。その一枚一枚に、私の見張った時間が縫い込まれている。行き先は知らない。けれど、どこかで服になっている、それで十分なのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。