核は強い。「餌より先に酸素」という順番を体が覚えていること、台風の天気図を産地の漁が止まる時刻として読む癖、冷凍在庫を古いものから回すこと、そして観客のいない水槽で魚が見せる素の動き。この四点だけで一本立つ。問題は、書き手がその四点を信用せず、雨と静けさの書き割りで嵐を立て、最終段で主題を自分の口で言い直して締めてしまっていることだ。とりわけ惜しいのは、調餌係という手つきの確かな語り手を据えながら、肝心のディテールが概念のままで、現場の手が動いていないこと。職業エッセイは、職業の手つきがゆるむと、全部が借り物に見える。
「魚は休館を知らない。客が来ようと来まいと、台風が来ようと、魚はただ食べる。そして私は、その食べる魚のために、客の来ない日も包丁を握る。それがこの仕事なのだ。」
主題を主題文として書いて、自分で判子を押して終わっています。「それがこの仕事なのだ」は、どの職業エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、オオサコミナトである必然がない。しかも「魚は休館を知らない」は本文中段ですでに一度書いている。一度動作で見せたことを、最後にもう一度標語にして回収するのは、余韻ではなく念押しです。読者に渡すべき結論を、作者が二度言ってしまっている。
「外には激しい雨が叩きつけていて、駐車場の水たまりに灰色の空が映っていた。」
「激しい雨」「灰色の空」「水たまりに映る空」。台風を安く調達する三点セットです。しかもこの語り手は直後に「ここに入ってしまえば、外が嵐だということは音でしか分からない」と書いている。窓のない調餌室にいる人間が、駐車場の水たまりの映りを叙述できるのは矛盾です。嵐を見せたいなら、見えないものを見せてはいけない。届くのは、外壁を打つ雨音か、搬入口のシャッターの軋みか、停電を疑って一度だけ明滅した蛍光灯のはずです。
「観客のいない餌の時間に、私は魚の本当の顔を見る気がした。」「外の嵐が嘘のように、ここだけは平常だった。」
調餌係は、食べ残しの重さで体調を断定する職業です(前作で書いた通り)。その人物が「見る気がした」と逃げるのは、観察者の腰が引けている。素の動きを断定できないなら、断定できる事実――誰が我先に来て、誰が今日に限って奥にいたか、その一尾の名前――を出すべきです。「本当の顔」という抽象語に逃げた瞬間、七年の観察が消える。
「在庫表に、何が何キロ、いつ入ったかが書いてある。古いものから先に使う。」
「古いものから先に使う」は、先入れ先出しという概念の説明であって観察ではない。実際に冷凍庫の在庫表を繰る人間なら、具体が一つ出るはずです(入荷日の油性ペンの日付、霜のついた箱、いつもより一段空いた棚、台風前にわざと一尾多く解凍に下ろした朝)。前作の「四度の冷蔵庫」「五度の芯温」「八グラムの食べ残し」のような、嘘のつけない数字がここにこそ要る。冷凍ローテーションを語るなら、台風が来る前に何キロ前倒しで解凍に回したか、その一点を書けば足りる。
「低気圧の中心がどの産地のどの沖を通るか、いつ漁が止まるかを、おおよそで読む。読めるようになった、というより、読まないと不安なのだ。」
この癖は本作のいちばんの発明なのに、「どの産地のどの沖」と伏せたままで、読み手には何も渡らない。調餌係が天気図を漁の停止として読むなら、固有名が出るはずです(うちのアジは○○産だから、中心がそこを抜ける明後日の朝には市場が薄い、と)。「不安なのだ」と心理を説明するより、不安の中身――電話で市場に確認する動作、冷凍庫を一度余計に開ける手――を一つ書けば、癖は癖として立ちます。
「普段は見栄えのために前に出される子が、今日は奥にいる。」
方向は正しいが、「見栄えのために前に出される子」が一般論にとどまっている。誰のことか。カルテに名前のある一尾を据えれば、休館日の素の食事は具体になる。前作で機能していたのは個体別カルテと識別バンドの色でした。本作も、休館の水槽で素の動きを見せた「その一尾」を、カルテの名前で呼ぶべきです。匿名の「子」では、展示と素の対比が標語の域を出ない。
「誰もいない館は、こんなにも広かったのかと思う。」
この一文は、休館の美術館にも、終電後の駅にも、閉店後のデパートにも、そのまま置ける。広さを感じたのが調餌係である証拠が要る。たとえば、いつもは客の足音と館内放送に紛れて聞こえない、自分の長靴が床を鳴らす音が通路の端まで届いた、というような、この人物の体にだけ起きる広さを書かなければ、感慨は誰のものでもない。
残すべきは四つ。「餌より先に酸素」という体に入った順番、天気図を漁の停止として読む癖、冷凍在庫のローテーション、そして観客のいない水槽で素の動きを見せる一尾。削るべきは、駐車場の水たまりに映る空という見えない書き割り、「見る気がした」「不安なのだ」の留保と心理説明、そして「それがこの仕事なのだ」の主題回収。改稿では、嵐は調餌室に届く音だけで書き、天気図と冷凍庫には嘘のつけない数字か固有名を一つずつ入れ、素の食事はカルテの名前のある一尾で見せること。最終段は標語をやめ、再開のチャイムが鳴る通路に語り手を立たせるだけでよい。意味は、客が戻る水槽と、昨日の素の顔を知っている語り手の沈黙が運ぶ。説明が運ぶのではない。