台風の、休館日
客は来ないが、魚は食べる

オオサコミナト(29歳・水族館の調餌係7年)

台風が来る、と決まった日の朝、私はいつもと同じ時間に出勤する。外には激しい雨が叩きつけていて、駐車場の水たまりに灰色の空が映っていた。けれど調餌室には窓がないから、ここに入ってしまえば、外が嵐だということは音でしか分からない。換気扇を回し、まな板を出し、出刃を研ぐ。客の来ない日も、私の一日は包丁の音で始まる。

臨時休館、と館内放送が告げる――はずだったが、休館の日に放送は流れない。客がいないのだから、案内する相手もいない。いつもなら開館前に試される「本日はご来館まことに」の声が、今日はない。通路は静まりかえり、止まったエスカレーターが斜めの階段になっていて、ミュージアムショップは灯りを落として暗い。誰もいない館は、こんなにも広かったのかと思う。

けれど魚は、休館を知らない。客が来なくても、腹は同じように減る。だから調餌は、一日も休めない。台風で休みになるのは人間のほうで、魚にとっては、ただのいつも通りの一日だ。私はまな板の前で、いつもと同じようにアジを三枚におろす。外の嵐が嘘のように、ここだけは平常だった。

台風で困るのは、入荷だ。生鮮の魚は市場から届くが、海が荒れれば漁は止まる。船が出なければ、明日のアジは来ない。だから私には癖がついた。台風が近づくと、天気図を見る。低気圧の中心がどの産地のどの沖を通るか、いつ漁が止まるかを、おおよそで読む。読めるようになった、というより、読まないと不安なのだ。

備えは冷凍庫にある。在庫表に、何が何キロ、いつ入ったかが書いてある。古いものから先に使う。当たり前のことだが、台風の前にはそれを念入りに確認する。生鮮が止まっても、冷凍の在庫を回していけば、しばらくは魚を切らさずに済む。台風の日の餌は、たいてい冷凍を戻したものだ。

もう一つ、台風の日に確認するものがある。水槽の予備電源だ。停電すれば、ろ過も、ポンプも、酸素を送る装置も止まる。餌を一日抜いても魚は死なないが、酸素は数時間で問題になる。だから台風の朝は、餌より先に、予備電源の点検に立ち会う。餌より先に酸素。順番を、体が覚えている。

休館中の餌やりは、いつもと違う。観客がいないから、それは「展示」ではなく、素の食事になる。普段は客の歓声のなかで投げられる餌が、今日は静かな水槽に落ちていく。見ている者がいないと、魚は素の動きをする。我先に来る子、隅で待つ子、いつもは見栄えのために前に出される子が、今日は奥にいる。観客のいない餌の時間に、私は魚の本当の顔を見る気がした。

台風一過の翌朝、館は再開する。エスカレーターが動き出し、ミュージアムショップに灯りがつき、開館のチャイムが鳴る。ガラスの向こうに、また客が戻ってくる。子どもたちが青い水槽に歓声をあげ、魚はまた「展示」に戻る。けれど私は知っている。昨日、誰も見ていない水槽で、魚たちが見せていた素の顔を。

魚は休館を知らない。客が来ようと来まいと、台風が来ようと、魚はただ食べる。そして私は、その食べる魚のために、客の来ない日も包丁を握る。それがこの仕事なのだ。今日も換気扇は回っていて、まな板の上には、嵐の日も変わらず、戻りきったアジが並んでいる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。