片耳の、相談
右と左で、別の耳を生きている人がいる

オトナシユウ(49歳・補聴器技能者24年)

オージオグラムは、ふつう右と左を一枚に重ねて描く。右は赤の丸、左は青のバツ。多くの人は、二つの線がだいたい同じ高さに並ぶ。歳をとれば、二本そろって右下に垂れる。だが時々、片方の線だけが、もう片方を置いて深く沈んでいる図に出会う。音の世界の半分を失った人の、聞こえの地図だ。

そういう人は、椅子に座る向きで分かることがある。私の声を、いい方の耳でこちらに向けて聞こうとする。聞こえない側を壁に寄せて、無意識にかばっている。電話も、訊くと決まって片方で受けている。「どちらの耳で電話を取りますか」と訊くと、たいてい「考えたことがなかった」と言う。考えたことがないのに、二十年同じ耳で受けてきた人がいる。体のほうが先に、いい耳を選んでいたのだろう。

補聴器は、両耳が原則だ。人間は二つの耳の音の差で、どっちから音が来たかを知る。右が早く大きく、左が遅く小さければ、音は右だと脳が決める。片方が欠けると、その差が取れない。だから後ろから車が来ても、どっちに避ければいいのか分からなくなる。理屈の上では、片耳難聴の人にも両耳ぶんの聞こえを返してあげたい。

だが理屈と、その人の財布と、慣れる手間とは、別の場所にある。沈んだ側の耳が、機械を入れてもほとんど言葉を拾えないほど落ちていることがある。そこへ高い機械を入れても、音は届くのに言葉にならない。それなら、まずいい方の一台から始めましょう、と私は言う。費用のことも、ひとことだけ正直に添える。両耳は二台ぶんかかる。片耳から始めて、慣れて、足りなければ足す。順番の相談だ。

騒がしい場所が、いちばんこたえる。居酒屋、駅、子や孫の集まる正月。片方しか聞こえないと、目の前の一人の声と、まわりのざわめきとが、同じ平面にべたっと貼りついて、より分けられない。両耳で聞くというのは、声に奥行きをつけることなのだ。手前の声と奥の音を、脳が前後に並べ替える。その並べ替えの作業を、片耳の人は一つの耳だけでやろうとして、疲れる。「人の多いところが嫌になった」と言う人の半分は、性格ではなく、この疲れの話をしている。

聞こえない側の音を、どうしても拾いたい人には、クロスという機械がある。悪い方の耳に小さな送信機を着けて、そこに来た音を、いい方の耳へ電波で飛ばす。悪い耳で聞くのではない。悪い耳に届いた音を、いい耳に運んで聞かせる。横断歩道で、聞こえない側から呼ばれても気づける。ただ、これも合う人と合わない人がいて、いい方の耳が、自分の音と運ばれてきた音の二つを同時にさばけるかどうかを、しばらく着けて見極める。

突発性難聴のあとに来る人も多い。ある朝、片方が急に聞こえなくなって、病院でステロイドを打って、それでも戻りきらなかった人たちだ。医者の仕事は、そこで一区切りつく。治療で戻せるところまで戻して、これ以上は戻りません、と告げる。その先を、私が引き継ぐ。治って残った差を、機械で埋められるか測る。医療の終わったところが、補聴の始まるところなのかもしれない。バトンを受け取る場所が、私の台のうえだ。

両耳に入れる人でも、左右で設定はまるで違う。同じ機種を二台買っても、右と左で沈み方が違うのだから、入れる音もまるで違う。右は高い音を多めに、左は中くらいを抑えて、と二台ぶんを別々に合わせて、最後に二台を一緒に着けてもらって、頭の真ん中で音が一つにまとまるかを確かめる。二台で一つの聞こえを作る作業だ。片方ずつ完璧にしても、合わせたとき右に寄って聞こえることがある。そのときは、また片方を少し戻す。

右と左で、人は別の耳を生きている。私が二十四年かけて測ってきたのは、その左右の差と、本人が「こっちで聞いている」と気づいていない癖との、距離だった。電話をどちらの耳で受けるか――本人も意識しないその一点に、その人の聞こえの地図が出ている。二台で一つの聞こえなのだ。片耳の相談とは、欠けた半分をどう補うかではなく、残った耳をどう生かすかの相談なのだと、いまは思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。