三秒の、ありがとうございました
料金所一年目、窓越しに人を読むと決めた夜

オオツカミノル(55歳・元高速道路料金所収受員)

料金所のブースで三十年働いた。一台あたりの接客は、だいたい三秒だと思う。車が停まり、料金を受け取り、釣り銭とおつりのレシートを渡して、「ありがとうございました」を言う。言い切る前に、たいてい車は走り出している。三秒というのは、ありがとうございました、を最後まで言うのに足りない長さなのだ。

釣り銭は、トレーに載せて渡す。手から手へは渡さない。硬貨をつまんで落とす客がいるし、急いでいる人ほど窓を半分しか開けない。だから収受員は、トレーを差し出す角度と高さで、相手の腕が届く位置を一瞬で測る。これを覚えるのに、私は半年かかった。半年経つと、相手がどちらの手で受け取るかが、窓が開く前にわかるようになっていたと思う。

一九九五年、二十四歳の冬に、私は収受員になった。ブースの足元には小さなヒーターが一つあって、それだけが暖房だった。夜勤のあいだ、上半身は窓から入る排気と外気で冷え、足首から下だけが赤く焼けるように熱い。その温度差に慣れるのにも、やはり時間がかかった。当時はまだ、ハイウェイカードという磁気のカードがあって、深夜割引のために時計を気にする客も多かったように思う。

その夜のことは、よく覚えている。深夜二時を回って、長距離トラックが一台、レーンに入ってきた。運転手は五十くらいの男で、料金を出すとき、私の顔をちらりと見た。釣り銭のトレーを差し出すと、彼はそれを受け取りながら、低い声で言った。「あんたも夜中まで大変だな」。それだけ言って、トラックは走り出していった。テールランプが、夜の中にゆっくり溶けていった。

三秒だった。たぶん、ふつうの三秒と同じ三秒だったと思う。けれど、その三秒の中で、会話というものが成立していた。料金を受け取り、釣り銭を渡し、ありがとうございましたを言う。その決まりきった三秒の隙間に、彼は一言を差し込んでいった。あんたも夜中まで大変だな。私は何も返せなかった。返す前に、車はもう走り出していたからだ。

それからの私は、三秒のあいだ、相手を見るようになった。ハンドルの握り方、助手席に積んだ荷物、窓を開けるときの肘の角度、おつりを財布のどこにしまうか。三秒あれば、その人の今日が少しだけ読める。長距離の運転手は、おつりを見ない。観光帰りの家族連れは、子どもが後部座席で寝ている。出張のサラリーマンは、領収書という言葉を、料金を出すより先に口にする。窓越しの一瞬は、思っていたよりずっと長かったのかもしれない。

二〇〇一年を過ぎたあたりから、ETCのレーンが増えていった。最初は一レーンだったものが、二つになり、三つになった。有人ブースは、その分だけ減っていく。私はその流れを、ブースの中から眺めていた。バーが上がって、車が停まらずに通り抜けていく。三秒の接客が、ゼロ秒になっていく。便利になるというのは、こういうことなのだろうと、私は淡々と見ていた。

最後の勤務日も、私はいつものようにトレーを差し出していた。その日、何台の車を見送ったかは覚えていない。覚えているのは、足元のヒーターの熱さと、上半身の冷たさが、三十年前とまったく同じだったことだ。最後の一台がおつりを受け取って、走り出した。私はやはり、ありがとうございました、を言い切れなかった。

三秒の接客を、何百万回やっただろう。数えたことはない。いまでも、人混みで誰かとすれ違う一瞬に、その人の一日を読もうとしている自分がいる。窓口は減り、私の仕事も終わったけれど、あの夜の三秒が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。トラックのテールランプは、今でも目を閉じれば、夜に溶けていく。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。