リンメイファ(台湾出身、東京在住)
今日はお茶を淹れながら、考えすぎてしまうことについて少し話したい。私自身がそういう人間だからである。決めたことを、何度も決め直す。台湾の母に電話を入れる時刻を、二日前から考える。仕事のメールの返信を、送る前に七回読み返す。同居している妹のメイリンが、それを見て呆れている。「お姉ちゃん、もう送りなよ」と笑う。
心配していることは、たくさんある。台湾の両親が年を取っていくこと。父が去年、軽い心臓の検査を受けたこと。母が電話で「元気だよ」と言う時の、声の薄さ。私が東京にいて、毎日そばにいられないこと。料理教室の生徒さんたちが、本当に楽しめているのかどうか。私が良い先生でいられているか。そして、心配していること自体を、また心配する。これは見ての通り、ぐるぐる回る。
昔からこうだったわけではない、と思う。台湾にいた頃の私は、もっと素朴に毎日を歩いていた。考えすぎは、時間をかけて少しずつ身についた癖のようなものだ。身についたものなら、もしかしたら少しずつ手放すこともできるかもしれない。今日はそんな話をしたい。
心配することは、人間の経験の一部だと、私は思っている。進化の長い時間のなかで、心配する性質はおそらく私たちを守ってきた。食料が足りるか、雨風をしのぐ場所があるか、誰が信頼できるか——昔の人々にとって、これらの心配は生死を分けていた。心配しないと生き残れなかった。
ただ、今、私が心配していることの多くは、それほど生き死にに関わるものではない。仕事のメールの言い回し、自分の見た目、来月の家賃。それでも心配の仕組みだけが、昔のままの強さで残っている。
動物を見ていると、心配には始まりと、行動と、終わりがある。捕食者が見える。逃げる。安全な場所に着く。心配は終わる。少なくとも、その時は。
けれど、現代の私たちが心配することの多くは、すぐに行動できるものではない。遠い未来のこと、形のないこと、自分でコントロールできないこと、もしかしたら起きないこと。だから心配は終わらない。引き金が引かれたまま、ずっと低い音で鳴り続ける。
どこかで読んだ言葉が忘れられない。「私の人生は、起こらなかった恐ろしい出来事でいっぱいです」。
これは私のことだ、と思った。私は頭の中で、ありえる最悪のシナリオを毎日作り上げている。父の検査の結果が悪かったら、私は仕事を辞めて台湾に戻れるのか。料理教室の生徒さんが急に来なくなったら、来月の家賃はどうなるのか。妹のメイリンが「やっぱり台湾に戻る」と言ったら、私は一人で東京に残るのか。
これらのほとんどは、起きていない。たぶん起きない。けれど、頭の中で何度もリハーサルされている。リハーサルされた回数だけ、私はそれを「もう経験した」ように感じている。本当には経験していないのに。
古代ローマの哲学者で、セネカという人がいた。彼が書いた言葉が、私の心に深く残っている。「私たちを傷つけるものよりも、私たちを怖がらせるものの方が多い」。そして、「必要になる前に苦しむ人は、必要以上に苦しむ」。
必要になる前に苦しんでいる時間が、私には多すぎる、と最近気付き始めた。
それで、最近、自分のなかで一つの問いを持つようにしている。考えすぎのサイクルに入っていることに気付いた時、私は自分に聞く。「これは、私がコントロールできることか、できないことか」。
父の心臓の検査結果は、私のコントロールの外にある。母が電話で何と言うかも、私の外にある。生徒さんが楽しめているかは、半分は私の外にある。台湾と東京の距離は、私が動かしようがない。
こういう「外」のことを考え続けても、状況は変わらない。だから私は、気を紛らわせて、別のことに移ろうとする。これは諦めではなくて、認めることに近い。私は神様ではない、というだけの、当たり前の事実を認める。
といっても、言うのは簡単で、やるのは難しい。本当に難しい。だから私には、いくつかの助けが必要だ。
一つは、頭の中にあることを、紙に書き出すこと。手書きで、思いつくままに、心配の塊を全部外に出す。書き出すと、頭の中で雪だるまのように膨らんでいたものが、紙の上では意外と小さい、と分かることが多い。「父の検査結果」「母の声」「来月の家賃」と並べてみると、せいぜい三行か四行で書ける。それだけで、なぜか少し息ができるようになる。
もう一つは、メイリンや、台湾時代の友人に、話すこと。同じことを声に出すと、頭の中で堂々巡りしていたものが、外に出る。出たものは、もう私の中だけのものではなくなる。私の中だけにあると、ぐるぐる回り続けるけれど、外に出ると、回るのを少し止められる。
では、コントロールできることなら、心配は健全か。これも、そう簡単ではない。コントロールできることでも、それが「長い時間の先にあること」だと、私はやはり考えすぎてしまう。学生ローンの返済、料理教室の年間スケジュール、五年後の自分の働き方。
こういう時に、私を助けてくれたのは、五年前に東京に引っ越してきた時のメイリンだった。
私が東京に来たばかりの頃、新しい言語、新しい仕事の仕組み、料理教室の開業準備、慣れない日本の簿記、そして台湾時代に借りた奨学金の返済。全部が同時に押し寄せた。ある夜、台所で軽くパニックを起こした。「これは無理だ。台湾に帰らなきゃ。借りたお金は返せない」と泣きながら言った。
メイリンは何も言わずに、紙とペンを持ってきた。そして、私の頭の中の心配を一つずつ書き出していった。書き出した数字を見て、私はもっと圧倒された。「もう終わりだ」と言った。
メイリンは慌てずに、それを「長くて重い問題」から「短くて軽い行動の積み重ね」に書き直した。「今月、簿記の本を一冊読む」「来週、税理士さんに相談メールを送る」「明日、奨学金の返済スケジュール表を作る」。長い未来の塊が、明日できる小さな三つの動作に分解された。
問題そのものは解決していなかった。けれど、霧が少し晴れた。明日できることがあるなら、今夜は眠れる。
今、私が考えすぎを止めるためにやっているのは、この二つだけだ。
コントロールできないことなら、書き出すか、誰かに話して、外に出す。出したら、そこから離れる。離れるのは難しいけれど、戻ってきた時は、また外に出す。
コントロールできることなら、長くて重い問題を、明日できる小さな動作に分解する。分解した動作のうち、一番小さなものから始める。動いている時間は、考えすぎる時間より少しだけ短い。
それでも私は心配する。たぶん、これからもずっと、心配性の人間として生きていく。心配することは私の癖で、たぶん私の一部だ。やめられはしない。でも、心配の塊を、二つに分けることはできる。分けたら、扱い方が変わる。扱い方が変わると、夜の眠りが少し変わる。
今夜のお茶は、台湾の凍頂烏龍。母が春に送ってくれたもの。お湯を注いだ時の、最初の一煎の香りを、何分か何も考えずに嗅いでみる。それが、心配を二つに分ける前の、私の儀式である。