リンメイファ(台湾出身、東京在住)
台北駅の南口に、緑色のタイル張りの古い洋食屋がある。母はかつてそこで皿洗いをしていた。二十二歳の春、台南の田舎町からこの街に出てきたばかりだった頃の話だ。私が同じ店に立ち寄ったのは、去年の冬、東京から台湾へ帰省した日のことだった。皿を洗う若い女性が、母の年齢に近かった。私は何も言わずに紅茶を一杯飲んで店を出た。
私は二十八歳で東京に出てきた。妹のメイリンと二人、目黒の小さなマンションに住んでいる。母を残してきた、と最初の半年は思っていた。電話で母に「私もそうしたじゃない」と言われて、私はようやくその罪悪感を、自分の中の所有物にすることをやめた。
母が二十二歳で台南を出た時の決断と、私が二十八歳で東京に出た決断は、世代をまたいで同じ構造をしている。誰かのそばを離れて、新しい関係を作りに行く。母の母も、そのまた前の母も、同じことをしてきた。それを発見した時、私は母に対して、急に近づいた気がした。
Our World in Data の「Who Americans spend their time with, by age」という、米国人を対象にしたグラフを見た。米国労働統計局のデータが元になっているので、台湾でも日本でも、数字そのものは違うはずだ。それでも、年齢ごとに過ごす相手が大きく入れ替わるという形の輪郭は、たぶん私の周りでも同じことが起きている。子供時代は家族、思春期は友達、青年期はパートナー、その後は同僚、そして年を取るとひとり。
グラフを見て、ひとつだけ確かに分かったことがある。母と私の今の時間配分は、まったく同じではない、ということだ。母は今、退職した父と二人、台南の郊外に住んでいる。父は野菜を育て、母は近所の刺繍教室に通う。一日に話す相手は、父と、近所の劉さんと、火曜の刺繍教室の先生だけだ。母は最近、姪を可愛がる時間も増えている。
私は三十二歳、東京の料理教室で週四日、三十人ほどの生徒さんと過ごしている。メイリンと夜ご飯を食べ、姉とは月に一度LINEで話す。母とは週に一度の電話、年に二週間の帰省。グラフの中で私はパートナーと同僚の時間が交差する場所にいて、母は同僚と家族の時間が交差して、その先のひとりの時間に向かっている。
姉の娘、ジアジアは小学三年生だ。去年の帰省の時、ジアジアは私の部屋に勝手に入ってきて、「メイファ姨、これあげる」と、自分で焼いたクッキーを四枚、紙ナプキンに包んで持ってきた。「先生に教えてもらった」と言う。クッキーは塩を入れすぎていて、しょっぱかった。ジアジアは「美味しい?」と聞かないで、勝手にこちらの反応を見ていた。私が一枚食べ切るまで、ずっと部屋にいた。
来年帰省する時、ジアジアは小学四年生だ。クッキーはもう焼かないかもしれない。あの時の、自分で焼いたものを誰かに食べてもらいたい年齢を、過ぎているかもしれない。
グラフが教えてくれる、もう一つの事実がある。私はこれからもっとひとりになる。退職して、メイリンが結婚するか引っ越すかして、姉が遠くなり、母が逝き、最後の何年かは、たぶんひとりで過ごす時間がほとんどになる。
ひとりでいるのは怖い。今でも、家にひとりでいると、すぐにスマホを取って、誰かのSNSをスクロールしてしまう。本当の意味で「ひとりで何もしないで座る」という時間は、私の暮らしにほぼ存在しない。
今夜、メイリンは出張で札幌にいる。私はキッチンの白いマグカップに、母が送ってきた台南の冬瓜茶のティーバッグを入れて、お湯を注いだ。お茶を飲みながら、何もしないで、外の音を聞いている時間を、十分だけ自分に許してみた。隣の部屋から、エアコンの低い音が聞こえる。下の階の小さな子供が、まだ起きていて、何かを叫んでいる。ベランダの植木の葉が、風で乾いた音を立てる。
十分は思っていたより長く、そして短かった。母にこの時間のことを電話で話そうかと思って、結局話さなかった。話してしまうと、十分の沈黙がただの「電話のネタ」になってしまう。母には別の話をして、明日また、別の十分を、ひとりで座って過ごそうと思う。
去年の冬、私が紅茶を一杯飲んで出てきたあの店の場所を、私は母にも教えていない。「あの店、まだあるの?」と聞かれたら答えるけれど、自分から「行ってきた」とは言わない。母が二十二歳の自分を、誰かに観察されたいと思っているかどうか、私には分からないからだ。
母が二十二歳の春に皿を洗っていた緑色のタイルは、今も同じタイルだった。皿洗いの若い女性の手の動きも、たぶん、母の頃と同じだった。私は母のいない母を、その店で一杯の紅茶の長さだけ、見ていた。それで十分だった。