リンメイファ(台湾出身、東京在住)
人生を歩んでいくにつれて、時間との関わり方が変わっていきます。子供だった頃、時間は無限に思えました。行きたい場所はどこでも行ける、なりたい自分にはいつでもなれる、と。けれども年を重ねるごとに、時間が思っていたよりも早く過ぎていくこと、そして何ひとつ永遠に同じままではないことを、少しずつ知るようになります。
今日は、誰と時間を過ごすかが人生をどう変えていくか、についてお茶を淹れながら少し話したいと思います。
私の母は二十二歳のとき、台南の小さな町から台北へ出ました。誰も知り合いのいない街で、住み込みの仕事から始めて、家庭を持ち、私と妹を育てました。当時の母にとってそれが、どれだけ大きな決断だったかは、今になってようやく分かります。新しい都市、新しい言葉づかい、知らない人ばかりの街で、ずっと年下だった母が、毎日のごはんと寝床を確保していたのです。
そして私自身も、二十八歳で東京へ移ってきました。母とは違って難民でもなく、子供を抱えてもいませんでしたが、妹のメイリンと二人、新しい街で生活を始めました。母を残してきたことに、最初は罪悪感がありました。電話で「ごめんね」と言ったら、母は笑って「私もそうしたじゃない」と答えました。母も、そのまた前の母も、それぞれが自分の家族を作るために、誰かのそばを離れた。それが人生というものらしい、と母は言いました。
母と私の人生は、まったく違うかたちをしています。けれど、誰かのそばを離れて新しい関係を作っていく、という点で、確かに繋がっています。それを発見した時、私は少しだけ、母に近づいた気がしました。
最近、Our World in Data という調査機関が公開している「Who Americans spend their time with, by age」というグラフに出会いました。米国労働統計局のデータが元になっていて、生まれてから死ぬまで、人が誰と時間を過ごすかを年齢ごとに描いたものです。
子供の頃は、家族と過ごす時間が圧倒的に多い。これは当然で、家族は私たちに教え、導き、世界を歩く手助けをしてくれる存在です。思春期になると家族と過ごす時間は急に減り、代わりに友達と過ごす時間が増えます。青年期に入ると焦点はパートナーや恋人に移り、その後、職場の同僚と過ごす時間が長くなります。中年期、同僚と過ごす時間はパートナーと過ごす時間とほぼ同じくらいになります。そして、年齢を重ねるごとに社会的なつながりは縮小していき、退職して、子供たちが家を出て、ひとりで過ごす時間が増えていく。
このグラフを見て、私はしばらく台所の椅子から立ち上がれませんでした。今、私が三十二歳で、毎日の大半をメイリンと、料理教室の生徒さんと、何人かの友人と過ごしている。台湾の両親と過ごす時間は、年に二週間くらい。そして、グラフが正しいなら、これから先、両親と過ごす時間は短くなり続けて、ある時点でゼロになる。
このグラフから、私は五つの心がけを受け取りました。
一つ目は、家族との時間を優先すること。人生は限られている、と頭では分かっていても、つい後回しにしてしまう。私はこれから、母にもっと電話をかけたい。年に二週間しか会えない両親に、もう少し会いに行きたい。
二つ目は、友情に意識を向けること。正直に言うと、年を重ねるにつれて友達と過ごす時間がそれほど多くないと気付いたのは、少し驚きでした。深い友情をいくつか持っていることのほうが、たくさんの友達を持つことよりずっと価値がある、と最近思います。
三つ目は、子供たちとの時間を大切にすること。私には子供はいませんが、姉の家の姪が、もう小学三年生になりました。次に会う時にはもう四年生で、私の知らないことをたくさん覚えているでしょう。
四つ目は、同僚との健全な関係を育てること。料理教室の生徒さんと過ごす時間は、家族と過ごす時間に近いくらいになっていて、それは少し驚きでした。感謝の気持ちを伝えること、丁寧にコミュニケーションを取ること、それだけで関係はずっと違うものになります。
五つ目は、ひとりでいることに慣れること。これが私にとって一番、衝撃でした。
正直に言って、ひとりでいる時間が私には少し怖いところがあります。何もしないでいると、すぐにスマホを取ったり、メイリンに話しかけたり、料理教室の翌週のメニューを考え始めたりしてしまう。本当の意味で「ひとりで何もしないで座っている」時間は、ほとんどありません。
けれども、グラフが教えてくれるのは、これから先、私はもっとひとりになる、という事実です。年を重ねるほど、社会的なつながりは縮んでいく。最後の何年か、もしくは何十年かは、たぶん私はひとりでお茶を淹れて、ひとりで窓の外を見ている時間が長くなります。
ひとりでいることは、必ずしも孤独であるという意味ではない、と何かの本で読みました。でも、ひとりでいることに今から慣れておかないと、その時間が来た時、私は孤独に押し潰されるかもしれない。だから今から、ひとりでお茶を飲む時間を、少しずつ作っていこうと思っています。
今夜のお茶は、母が春に送ってくれた凍頂烏龍。メイリンは出張で札幌にいて、家には私ひとりです。お湯を注いだ時の最初の一煎の香りを、何分か何も考えずに嗅いでみる。
このひとりの時間を、私はまだ完全には楽しめない。けれど、グラフの先にある未来の自分のために、少しずつ、楽しめるようになりたい。
母にも、今度の電話で、この話をしようと思います。