ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)
あの頃、電話をかける前には必ず、手帳を開いて相手の都合を思い描きました。呼び出し音が続く間、先方の状況を想像し、胸が締め付けられる心地でした。留守番電話になることも少なくなかったのです。
「ピーッ、という発信音の後に、お名前とご用件をどうぞ」。機械音声が告げると、喉が詰まるような緊張に襲われたものです。急な仕様変更で部長の携帯にかけ、留守電になった。焦るばかりで、何を、どこまで話せば良いのか言葉がまとまらない。受話器を握る手のひらは、じっとりと汗ばんでいました。
頭の中で文案を何度も組み立て直しました。「お忙しいところ恐縮ですが、ワタナベです。先日のプロジェクトの件で、急ぎご相談が…」。短すぎると要領を得ず、長すぎると呆れられる。言い直しのたび、録音時間は減っていく。結局、「また改めてご連絡いたします」とだけ言い残し、ため息をついて切ったのです。あの不格好さは、今も思い出せます。
受話器を置いても、耳の奥には、相手のいない、テープが回る微かな音が残っていました。カチリとダイヤルが戻る音。録音ランプが消えたか、ふと確かめる。小さな達成感と、伝わったかという拭いきれない不安が入り混じる。机のカレンダーに、かけ直す時間を鉛筆で走り書きしました。あれは、今も変わらない癖です。
あの頃の留守電は、待つ不便さそのものが、言葉を選び抜く重みを与えていました。現代の連絡手段にはない、独特のまどろっこしさです。
今は、伝言を残すことは稀です。ショートメールで済ませるか、着信履歴から都合良い時間を見計らってかけ直す。確かに効率的になった。しかし、あの数秒の沈黙にどれほどの言葉が圧縮されていたか。それは、単なる不便さではなかった。私はそう断言します。