ルビの、ない字(第二稿)
東海林を、どちらに読むか決めるまで

サカキマホ(38歳・点字図書館の音訳者15年)

机には、辞典が三冊、開いたまま伏せてある。人名辞典、地名辞典、それからNHKのアクセント辞典。付箋は色で案件を分けてある。黄は調査中、赤は版元に問い合わせ中、青は確定。録音ブースに入るのは、青が貼れてからだ。本文を間違えずに読むのは、半年でできた。難所はそこではなかった。

難所は、ルビのない字だった。「東海林」と本文にある。ショウジか、トウカイリンか。墨字の読者は、読めなくても読み飛ばして先へ進める。声は飛ばせない。私は必ず、どちらか一方を選んでしまう。選ばない、という選択肢が、声にはない。

人名辞典を引く。「東海林」の欄に、ショウジ、トウカイリン、と二つの読みが並んでいる。どちらも誤りではない、と辞典は言っている。私は人差し指で、ショウジの行を一度たどり、トウカイリンの行を一度たどる。声に出してみる。ショウジさん。トウカイリンさん。本文の前後をもう一度読む。その人の生まれた土地の記述はないか。手紙の宛名はないか。手がかりは、なかった。指は二つの読みのあいだを、何度も往復した。

割れたままなら、版元に問い合わせる。図書館の担当者を通すのが建て付けだ。私が読みの照会票を書き、担当者が版元へ送る。「本書四十二ページ『東海林』の読みをご教示ください」。返事が来るまで、その本の録音は止まる。今回は十一日かかった。版元から著者へ回り、著者の手書きの一行が、定型の回答用紙に貼られて戻ってきた。「ショウジです」。それだけだった。それだけで、四十二ページの三文字が、はじめて声に出せる字になった。

確定した読みは、記録票に書く。私はその一行をいまも覚えている。「四十二頁 東海林=ショウジ。版元〇〇社・著者確認。五月十九日」。根拠の欄には、人名辞典に両読みあり、と添えた。この票は、図書館の調査ファイルに綴じられる。次に同じ著者の本を音訳する人は、私が往復した十一日を、この一行で飛び越えられる。私も、前の音訳者が綴じた一行に、何度も助けられてきた。

それでも、読みは後から覆ることがある。録音を終えたあと、校正者の指摘票が回ってきた。「八十七頁の地名、現地の読みは別では」。調べ直すと、校正者が正しかった。私はもう一度ブースに入り、エアコンを切り、椅子の軋みを確かめ、その一語だけを録り直した。声に出すのは一瞬でも、その一瞬を正しくするために、私は机に戻る。

デイジー編集ソフトの画面で、録り直した一語を、元の音声に差し替える。波形の、数センチ。指摘票の通りに、八十七ページの地名が、正しい読みに替わる。聴く人には、この数センチの裏の十一日も、人名辞典の二つの行も、版元との往復も、聞こえない。聞こえない。

一冊に数か月かかる。録音は、そのうちのわずかだ。残りは、ルビのない字の前で指を往復させ、版元の返事を待ち、票に一行を書く時間だ。その時間は、波形には残らない。図書館の調査ファイルの中に、私の一行と、前の音訳者の一行が、並んで綴じられている。東海林を、ショウジと読むと決めるまでの十一日。私は、また次の本の、青の付箋を貼りに行く。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。