サカモトミユ
今日のことを書く。いや、今日じゃない。もう何日か前のこと。何日前だったか正確にはわからない。でも覚えてる。覚えてるから書く。
何もなかったのに覚えてるって、変だよね。
放課後、昇降口でタケウチソウタと一緒になった。
偶然。本当に偶然。同じ方向なだけ。うちの学校、正門出て右に曲がる人と左に曲がる人がだいたい半々で、私とタケウチはたまたま同じ右。それだけのこと。
「あ」って私が言って、「おう」ってタケウチが言って、そのまま並んで歩き始めた。
別に気まずくはなかった。たぶん。たぶんね。タケウチとは前にインスタのプロフィールの話をしてから、たまに学校でも喋るようになってた。ソノダさんの変な企画のせいで。だから「偶然会ったクラスメイト」よりはもうちょっと喋れる距離にいた。いたと思う。
歩いて3分くらいのところにコンビニがある。学校の最寄りの、みんなが寄るやつ。
タケウチが「コンビニ寄る」って言った。私は別に用事なかったけど、「あ、私も」って言った。
なんで言ったのかはわからない。のどが渇いてたかもしれない。渇いてなかったかもしれない。
タケウチは肉まんを買った。レジ横のやつ。冬じゃないのに肉まんあるんだ、って思った。いや、まだ寒かったのかな。コートは着てなかったけど、ブレザーの下にカーディガン着てた気がする。そういう時期。
私はホットのカフェラテを買った。コンビニのカフェラテ。200円くらいのやつ。別にカフェラテが飲みたかったわけじゃない。何か買わなきゃ気まずいから買った。何も買わないでタケウチが肉まん食べるのを見てるのは変じゃん? だからカフェラテ。
コンビニの前で、タケウチが肉まんにかぶりついた。
「あっつ」
って言った。
それだけ。タケウチが「あっつ」って言って、口を開けてはふはふしてた。
なんか——おかしかった。面白かった。タケウチってふだん落ち着いてるっていうか、教室でもそんなにテンション高くないタイプじゃん? LINEのグループ名の話とか書いちゃうくらいだから、ちょっと斜に構えてるところあるし。その人が肉まんで「あっつ」って言ってるの。ふつうだなって。ふつうの高校生だなって。
私はカフェラテをちびちび飲んでた。熱いけど、カフェラテの熱さは「あっつ」って声に出すほどじゃない。蓋があるし。ゆっくり飲めるし。
肉まんは違う。蓋がない。中の肉汁が熱い。かぶりつくしかない。肉まんは待ってくれない。
なんの話だっけ。肉まんの話じゃない。帰り道の話だった。
コンビニの前で10分くらい立ってた。たぶん10分。もっと短かったかもしれない。長かったかもしれない。わからない。
何を話したか、覚えていない。
たぶん文化祭の話をした。うちの学校の文化祭、毎年微妙に揉めるから。出し物のこととか。去年のクラスの反省とか。たぶんそういう話。
たぶんバスケ部の話もした。タケウチはバスケ部。この前の試合がどうだったとか、顧問がどうとか、そういう話。私はバスケのルール全然わかんないから、適当に「へえ」とか言ってたと思う。
たぶん何かの先生の話もした。数学の誰それがどうとか、英語の誰それがどうとか。高校生の会話って、8割くらい先生の話じゃない? 共通の話題として便利すぎるんだよね、先生って。
でも本当に覚えていない。内容が。話の中身が一個も残ってない。
覚えているのは、タケウチが「あっつ」って言ったこと。
肉まんの湯気。
カフェラテの蓋の飲み口のところがちょっとベタベタしたこと。
空が夕方の手前くらいの色だったこと。
会話の内容はゼロ。ゼロなのに、空気だけ覚えてる。
タケウチが肉まんを食べ終わって、私のカフェラテもだいたいなくなって、「じゃあ」ってタケウチが言って、「じゃあね」って私が言って、交差点で別れた。
タケウチは左。私は右。
手を振ったかどうか覚えてない。たぶん振ってない。振るほどの距離じゃない。3歩くらいで背中が見えなくなる角度だから。
家まで歩いてる間、何も考えてなかった。イヤホンしてた。何を聴いてたかも覚えてない。
何もなかった。
何もなかったんだよ。マジで。偶然帰り道が一緒になって、コンビニに寄って、肉まんとカフェラテ買って、10分くらい喋って、別れた。それだけ。ドラマだったら全カットされるシーンだよ。尺の無駄。何も起きてない。
告白とかない。手が触れたとかない。「今度二人で」とかない。夕日が綺麗だねとかない。そういうのは全部ない。
肉まんが熱かった。それだけ。
なのに、家に帰ってから、日記を書いている。
私は日記をつけてる。毎日じゃない。何かあった日だけ。テストで死んだ日とか、友達と遊んだ日とか、お母さんと喧嘩した日とか。何かあった日。
今日は——何もなかった日のはず。なのに書いている。スマホのメモ帳を開いて、何もなかったことを、わざわざ記録している。
何もなかったのに書くって何?
日記って、「あったこと」を書くものじゃん? 「今日はこういうことがあった」って。じゃあ今日の日記はどうなる? 「今日は何もなかった。タケウチと帰った。肉まんが熱かった。以上」?
……それ、書いてるじゃん。書いてるよ私。何もなかったことを何百文字も使って書いてるよ。今まさに。
何もなかったことを書きたくなるって、
たぶん、何かあったってことなのかもしれない。
いや、わかんない。わかんないけど。
たぶん、明日学校でタケウチに会っても、この話はしない。「昨日の帰り道さ」とか言わない。だってタケウチにとっては肉まん食べて帰っただけだから。何もなかった日だから。
私にとっても何もなかった日のはず。
はずなのに、カフェラテの蓋のベタベタを覚えてる。夕方の手前の空の色を覚えてる。「あっつ」を覚えてる。
これが何なのかは、わからない。名前がつくようなものなのかもわからない。つけたくない気もする。名前をつけたら変わっちゃう気がする。「何もなかった帰り道」のまま、しまっておきたい。
でもしまっておけなかったから、日記に書いた。
日記に書いたのに足りなかったから、こうやってもうちょっと長く書いてる。ソノダさんに見せるために。いや、見せたいわけじゃない。見せてもいいかなって思っただけ。ソノダさんは言葉のことをずっと考えてる人だから、「何もなかったのに書きたくなる」っていう気持ちのことを、笑わないで聞いてくれそうだから。
コンビニのカフェラテはとっくに冷めた。
でも帰り道のことは、まだ温かい。
なんでだろうね。