サカモトミユ
タケウチが怒られた話をする。いや、怒られたっていうか、空気が凍った話。
文化祭のスローガンを決めるHRで。タケウチが手を挙げて、正しいことを言って、教室がシーンってなった。正しいことを言ったのに。正しいことを言ったから。
HRの時間。文化祭のスローガンを決めるやつ。タケウチが実行委員で、前に立ってた。
黒板に3つ候補が書いてあった。「輝け☆青春」と、あと2つ。どれもキラキラしてた。星マークとか入ってた。
クラスのLINEグループで事前に募集してたやつで、何人かがノリで投稿してた。「最高の思い出を」とか。「一致団結」とか。文化祭のスローガンって、だいたいこういうやつだよね。毎年どっかのクラスが使ってて、でも誰も覚えてない。
みんな盛り上がってた。「輝け☆青春いいじゃん」「エモい」「これでよくない?」。すぐ決まりそうだった。
タケウチが手を挙げた。実行委員なのに手を挙げるの、ちょっと面白かった。自分で司会してるのに。
タケウチが言った。
「これ、隣のクラスが使っても成立するよね」
教室が止まった。
しーん、っていう擬音がほんとにぴったりくるやつ。しーん。
ヤマモトが後ろの席から「じゃあお前が考えろよ」って言った。それはまあ、そうなるよね。候補にケチつけたんだから。でもタケウチの顔を見たら、ケチつけたくて言ったんじゃないのはわかった。ていうか、本人も空気が凍ったことに気づいてちょっと焦ってる顔してた。
私は学級委員長だから、なんか言わなきゃと思って、「盛らないってことは、テンション低いってこと? 文化祭なのに?」って聞いた。
タケウチは「違う」って言った。でもそのあとが続かなかった。「盛らないけどテンション上がる言葉」が何かを、本人もまだ見つけてなかったから。
私はタケウチの言ってることがわかった。
「輝け☆青春」は、隣のクラスが使っても成立する。去年の文化祭パンフを思い出しても、似たようなスローガンがいくつも並んでた。うちのクラスじゃなきゃダメな理由はない。それは正しい。
でも。
正しいことを、みんなが盛り上がってるときに言うと、空気が壊れる。
正しさと空気は、同時に存在できない。少なくとも、あの教室では。
「輝け☆青春でいいじゃん」はノリだった。ノリで決めようとしてた。3分で終わるはずだった。そこにタケウチが正論を投げ込んだ。正論はノリを殺す。ノリが死ぬと、残るのは気まずさだけ。
タケウチは悪くない。でも教室の半分くらいは「空気読めよ」って思ってたと思う。
残りの半分は——わかんない。たぶん何も思ってない。早く終わって昼休みになんないかなって思ってる。
そこから揉めた。揉めたっていうか、議論になった。議論って言うとかっこいいけど、ぐちゃぐちゃになっただけ。
「盛らないスローガン」って何? っていう話。タケウチは「かっこつけてない、でもつまんなくもない言葉」って言ったけど、それ具体的に何? って聞かれて黙った。ない。まだない。「ないのにケチだけつけんなよ」って空気。
ふだん喋らないカドがぼそっと「去年のスローガン覚えてる人いる?」って言った。誰も覚えてなかった。「スローガンってそういうもんじゃん。誰も覚えてないけど決めなきゃいけないやつ」。
それで空気がちょっと変わった。
で、そこからいろんな案が出て、投げやりなのも出て、最終的に——タケウチが出したやつになった。
中身は書かない。タケウチが「うちのクラスの言葉だから」って言って秘密にしてるから。秘密にしてることを私がバラすのはなんか違う。
スローガンが決まった瞬間のこと。
クラスの何人かが笑った。「ウケる」とか「それかよ」とか、そういう笑い。バカにしてるんじゃなくて、なんだろう、「たしかにうちっぽい」みたいな笑い。
タケウチも笑ってた。
タケウチが笑うの、あんまり見ない。いや、全く笑わない人じゃないけど、教室でみんなと一緒に笑ってるのは珍しい。斜に構えてるとかじゃなくて、タイミングがちょっとズレてるタイプ。みんなが笑ったあとに、ふっ、て笑う感じ。
でもあのときは、みんなと同時に笑ってた。同じタイミングで。
45分かかった。3秒で決まるはずだったスローガンに。
でも教室で何人かが笑って、タケウチも笑って、それで45分の意味があった気がする。
その日の帰り、また偶然タケウチと一緒になった。
前のコンビニの日と同じ方向だから、たまにこうなる。偶然。ほんとに偶然。
「揉めてたね」って言った。もうちょっと気の利いたことが言えればいいのに。でも出てきたのがそれだった。
タケウチは「うん」って言った。
それだけ。「うん」。
「大変だったね」でもなく「気にすんなよ」でもなく、「うん」。
その「うん」のなかに何が入ってたのか、私にはわからない。「大変だった」かもしれないし、「でもよかった」かもしれないし、「別に」かもしれない。タケウチは一文字しかくれなかったから、中身は推測するしかない。
でもその一文字は、コンビニの「あっつ」と同じくらい、残った。
タケウチのことを、それまでどう思ってたか。
ちょっと変わってる人。斜に構えてる人。ソノダさんの記事とか読んでて、ふつうの高校生が気にしないようなこと気にしてる人。LINEのグループ名がどうとか。面白いけど、ちょっとめんどくさいかも、くらいの。
それが——あのHRのあと、ちょっとだけ変わった。
タケウチは、空気を読めないんじゃなかった。読んだ上で、壊してた。「輝け☆青春でいいじゃん」っていう空気を読んで、読んだ上で「それ隣のクラスでも成立するよね」って言った。空気を壊すとわかってて言った。
それは——勇気なのか、不器用なのか、どっちかわからない。たぶん両方。
空気を読めない人は、壊したことに気づかない。
タケウチは気づいてた。焦ってた。
気づいた上で壊す人は、読めない人とは違う。
正しいことを言うのは簡単だと思ってた。嘘をつかなきゃいいんでしょって。でもあのHRを見てて思った。正しいことを、空気のなかで言うのは、嘘をつくよりずっと大変だ。
ひとつ、書いておかなきゃいけないことがある。
私もタケウチと同じことを思ってた。「輝け☆青春」を見たとき、「どこかで見たな」って思った。「これ、うちのクラスじゃなくてもいいな」って。
でも手を挙げなかった。
タケウチが言ってくれたから、「あ、やっぱりそうだよね」って思えた。でも、タケウチが言わなかったら、私は「輝け☆青春」に拍手して、3分でHRを終わらせてた。
正しいと思っていることを言わない。それは嘘じゃない。黙ってるだけ。嘘と沈黙は違う。でも、違うはずなのに、あのHRのあと、ちょっとだけ居心地が悪かった。タケウチが言って、私が黙ってた、という事実に対して。
タケウチは空気を壊した。
私は空気のなかにいた。
同じことを思っていたのに、立った場所が違った。
だから帰り道の「揉めてたね」は、ほんとは「揉めてたね」じゃなかったのかもしれない。「あのとき私も同じこと思ってたよ」って言いたかったのかもしれない。でもそれを言うのは、あのHRで手を挙げるのと同じくらい——なんか——違う気がして。あとから言うのって、ずるいじゃん。
だから「揉めてたね」。タケウチは「うん」。
それでよかったのかもしれない。わかんないけど。