核は強い。倉庫で埃をかぶって並ぶ余った机の列、その中からがたつきの少ない一組を選ぶ動作、会ったことのない子の名前を誰より先に書いていたという気づき、そして「机の数・椅子の数・名簿の人数が同じ日に同じだけ動く」という事務の世界観。ここだけで一本立つ。問題は、書き手がその核を信用せず、窓の外の子どもの声で叙情を借り、最終段で全部を説明して自分に判子を押してしまっていることだ。とりわけ惜しいのは、台帳の人――数を断定で扱う職業――を語り手にしながら、肝心の場面が「〜と思う」「〜だったと思う」で曖昧に濁ること。数の人が数に自信がないと、職業設定そのものが嘘になる。
「机と椅子の数が、私をいまの私にしてくれた。」
成長譚の判子を自分で押して終わっています。「○○が、私をいまの私にしてくれた」は、どの起源神話エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、ササモリチエである必然がない。直前の「倉庫の机の列を見ればわかる」という一文のほうがよほど鋭いのに、その鋭さを、わざわざ手前の解説でぼかしてしまっている。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めている。
「子どもたちの声が窓越しに響いてくる頃には、私の仕事の大半はもう片づいている。」/「子どもたちの賑やかな声がして、新しい子が来たのだとわかった。」
「子どもたちの声が窓越しに響く」は、学校を舞台にすれば自動で出てくる既製の叙情装置です。二度も使っている。この書き手が本当に二十六年その事務室にいたなら、子どもの存在は声ではなく、就学援助の申請件数か、給食費の未納の督促か、ゴム印の発注枚数として現れるはずです。事務室の人物が、教師の見る景色(賑やかな声)で世界を描いている時点で、人物より雰囲気が先に立っている。生成された“学校らしさ”の典型。
「たしか二月のはじめだったと思う。」「空いたままになっていた場所だったのだろう。」「二つの数は、本当は同じ一つの数の、表と裏なのだと思う。」
事務職員は、数を曖昧にできない職業です。机は「だいたい三十脚」では台帳に書けない。三十一脚なら三十一脚と書く。その人物の回想が「〜だったと思う」「〜だろう」で満ちているのは、不確かな新人の心理ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。日付すら「二月のはじめだったと思う」と濁すが、転入の書類を綴じた人間なら、受付印の日付を覚えていなくとも書類を見れば一発でわかる――その「書類で確かめる」手つきこそ、この職業の手つきのはずです。
「転入の手続きには、思いのほか多くの書類が要る。指導要録の引き継ぎ、教科書給与の受領簿、就学援助の書類。」
書類の名前を三つ並べただけで、観察になっていない。指導要録は前の学校から「いつ・どんな形で(封緘されて簡易書留で)」届くのか、教科書給与は学期途中の転入だと無償給与の手配がどう変わるのか、就学援助は転入のタイミングで申請がどう引き継がれるのか――そこに事務の現実があるはずです。名詞の列挙は、リストであって経験ではない。一つでいいから、手続きが「思いのほか面倒だった」具体を書けば、職業の論理が立ち上がる。
「私はいつのまにか、学校の数の観察者になっていた。教育を語る言葉を、私は持たない。けれど、紙と数字なら語れる。」
これは完全に主題文の解説です。「観察者になった」と書いた瞬間、それまで動作で見せてきたものが台無しになる。指で名簿を押さえて確かめる場面、倉庫の机の列が年々長くなる場面――それらがすでに「観察者」を体現しているのに、わざわざ抽象語で言い直すたびに、場面の値打ちが下がっていく。エッセイの主題を主題文として書いたら、それはもう要約です。
「私はその一つひとつを、慣れない手つきで揃えていった。」
この一文は、看護師の回想にも、銀行員の回想にも、そのまま置ける。「慣れない手つき」とは具体的にどう慣れていなかったのか――受領簿の押印欄を間違えたのか、書類の綴じ順がわからず先輩に訊いたのか。中身を書かなければ、一年目の不慣れは存在しないのと同じです。職業の固有名詞(受領簿、ゴム印)を出しているのに、動作が汎用なので、固有名詞が飾りに見えてしまう。
「机の数が、一つ増えた。椅子の数が、一つ増えた。学級名簿の人数も、一つ増えた。三つの数が、同じ日に、同じだけ動いた。」
狙いは良い。だが事実が逆です。転入で机を倉庫から「出した」のだから、教室の机は一つ増えても、備品台帳の総数は動かない(同じ学校の中での移動だから)。動くのは「設置場所」や「使用中/保管中」の区分であって、台帳上の机の総数ではない。むしろ核心はそこにあるはずで――子どもは一人増えたのに、学校の机の総数は一つも増えていない。余っている机の一つが、ただ倉庫から教室へ戻っただけ。その非対称こそ、児童数が減り続ける学校の事務が日々見ている現実です。数を“それっぽく三つ揃えて”しまったことで、いちばん効く真実を取り逃している。
残すべきは四つ。埃をかぶって列をなす余った机と、その中からがたつきの少ない一組を選ぶ動作、会ったことのない子の名前を誰より先にゴム印の注文書に書いていたという気づき、卒業式前に指で名簿を押さえる場面、そして「倉庫の机の列を見れば、その学校が増えているか減っているかわかる」という一行。削るべきは、窓の外の子どもの声、留保語尾、最終段の「観察者になった」という自己解説。改稿では、留保をすべて断定に直し(数の人は数を言い切る)、転入の三つの数のくだりは「子どもは一人増えたのに机の総数は一つも増えない」という非対称に書き替えてください。意味は数の動き方が運ぶ。解説が運ぶのではない。