ササモリチエ(48歳・学校事務26年)
学校事務の仕事は、子どもが来る前に終わっていなければならない。机と椅子を揃え、教科書を数え、名前のゴム印を発注しておく。子どもたちの声が窓越しに響いてくる頃には、私の仕事の大半はもう片づいている。職員室の隣の、事務室という小さな部屋から、私は二十六年間、学校を見てきた。
備品台帳というものがある。机がいくつ、椅子がいくつ、いつ買って、いつ廃棄したか。学校にあるすべての物に番号が振ってあって、その増減を記録するのが事務の務めだ。子どもの数は学級名簿に、物の数は備品台帳に。二つの数は、本当は同じ一つの数の、表と裏なのだと思う。
二〇〇〇年、私が二十二歳で事務の仕事に就いた、その一年目のことだった。三学期の途中で、転入生が一人来ることになった。引っ越してくる、と教頭先生から聞いたのは、たしか二月のはじめだったと思う。転入の手続きには、思いのほか多くの書類が要る。指導要録の引き継ぎ、教科書給与の受領簿、就学援助の書類。私はその一つひとつを、慣れない手つきで揃えていった。
そして、机と椅子を一組、倉庫から教室に運ばなければならなかった。それが、私がはじめて自分の手で動かした「学校の数」だった。倉庫に入ると、机が並んで余っていた。その学校は児童数が減り続けていて、使われない机が、列をなして埃をかぶっていたのだ。私はその列の中から、いちばんがたつきの少ない一組を選んだ。
机には高さの調整ができる脚がついている。転入生が何年生か、背の高さがどれくらいか、私はまだ知らなかった。とりあえず標準の高さに合わせて、教室の、いちばん後ろの空いた場所に置いた。一脚分、空いていた場所。誰かが卒業したか転校したかして、空いたままになっていた場所だったのだろう。
名前のゴム印を発注した。持ち物や提出物に押す、その子の名前のはんこだ。注文書に名前を書きながら、私はその子に会ったことがないことに気づいた。顔も知らない。声も知らない。けれど私は、その子の名前を、誰よりも先に、何度も書いていた。書類の上で。
転入生が登校してきた朝、私は事務室にいた。子どもたちの賑やかな声がして、新しい子が来たのだとわかった。私は窓の外を少しだけ見て、また台帳に戻った。机の数が、一つ増えた。椅子の数が、一つ増えた。学級名簿の人数も、一つ増えた。三つの数が、同じ日に、同じだけ動いた。それを記録するのが、私の仕事だった。
卒業式の前には、名簿の最終確認をする。一人ひとりの名前を、声に出さずに、指で押さえながら確かめていく。在籍したすべての子の名前を、私は書類の上で知っている。会ったことのない子の名前も、たくさん知っている。子どもに会わない日のほうが、ずっと多いのに。
あれから二十六年。倉庫の机の列は、年々長くなっていった。私はいつのまにか、学校の数の観察者になっていた。教育を語る言葉を、私は持たない。けれど、紙と数字なら語れる。机と椅子の数が、私をいまの私にしてくれた。その学校が増えているか、減っているか。それは、職員室の話を聞かなくても、倉庫の机の列を見ればわかるのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。