劇場の、椅子(第二稿)
休館の夏、数百脚を外して張り替える数週間

シオデマモル(47歳・椅子張り職人25年)

劇場の客席を任されたのは、この夏が初めてだった。A列からN列まで、片側だけで二百八十六脚。これを休館の三週間で全部張り替えて、外したのと同じ番号の場所に戻す。舞台で何が演じられるかは、私の仕事ではない。私が触るのは、客が腰を下ろす座面の下のほうだ。

初日の朝、誰もいない客席に立った。非常灯の緑だけが点いて、座面が一斉にこちらを向いていた。工程表は一日刻みだ。休館が明ける日から逆算して、何列目をいつ外し、いつ戻すかが全部決まっている。三日でAからD列、座面を外して工房へ。同じ三日で現場張りの班が、外せない部分にかかる。トラックは初日だけで四往復した。

外した座面の布をめくると、席ごとに擦れ方が違った。前から三列目だけ、座面がほとんど沈んでいない。舞台が見上げる角度になって、客が嫌う列だ。上手の通路際は、座面の右前の角だけが寝ている。遅れて入った客が、斜めに腰を滑り込ませる席だからだ。中央の良い席ほど、真ん中が深く窪んでいた。布の下に、誰がどこに座りたがり、どこを避けたかが、二十年分の重みの偏りとして残っていた。

劇場の布は、家具のそれとは別物だ。防炎の登録番号——頭にアルファベット一文字、続いて六桁——が入っていなければ、そもそも納められない。消防法で、座席の布はカーテンとは別の区分で試験を通す。私は布を裁つ前に、ロットごとに小片を切り取って、番号を書いた封筒に入れた。何年か先に何かあったとき、この席の布が確かに防炎だったと証明するための小片だ。座り心地の前に、まず燃えない。座る人を最後に守るのは、この一枚だ。

椅子には、外せるものと外せないものがある。座面は四本のビスで留まっていて、外して工房に持ち帰れる。だが肘掛けの框と、床にアンカーで固定された背は外せない。外せる座面は工房張り、外せない框は現場張り。この仕分けを朝いちばんに切る。間違えれば、運ぶ手間も人の配置も一日狂う。どこで作業するかを決めることが、もう仕事の半分だった。

外すとき、座面の裏と框の内側に、席番を書いた札を一枚ずつ留めた。ト列十二番の座面は、ト列十二番にしか戻らない。座面の厚みも、ビス穴の位置も、二十年座られた席ごとに微妙に違うからだ。札は数百枚、工房と劇場を行き来した。一枚取り違えれば、表からは何も見えない。だが、その席に座った人の腿が、合わない沈みに気づく。気づいても、言葉にはならない。それでも体は気づく。

休館が明けた初日、私は客席のいちばん後ろに立っていた。開場の鐘が鳴って、客が入ってきて、張り替えた席に、何も言わずに座っていった。前から三列目も、上手の通路際も、その晩は埋まった。二百八十六人が、私のビスの上に腰を下ろし、幕を待っている。誰も座面のことは見ない。一人として、布の下のことを考えていない。

幕が上がり、客席が暗くなって、座面は見えなくなった。次の張り替えは、たぶん十年は先だ。それまでこの二百八十六脚は、毎晩、知らない誰かの体重を受け、また少しずつ、同じ偏りで擦れていく。私はもう、ここにはいない。客席の後ろの扉を閉めて、私は工房に戻った。次の現場の座面が、もう積んである。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。