シオデマモル(47歳・椅子張り職人25年)
劇場の客席を任されたのは、この夏が初めてだった。一脚や二脚ではない。数百脚を、休館の数週間で全部張り替える。舞台の上で何が演じられるかは、私には関係がない。私が作るのは、その芝居を支える、客席の座り心地のほうだ。表の幕が上がる前に、私たちの幕は下りている。
劇場には休館期間というものがある。公演と公演のあいだ、客を一人も入れない数週間。その隙間に、私たちは入る。初日の朝、客席に立つと、数百の座面が一斉にこちらを向いていた。これを全部外して、張り替えて、また同じ番号の場所に戻す。気の遠くなる段取りだが、工程表は一日刻みで組んである。何列目をいつ外し、いつ戻すか。休館が明ける日から逆算して、すべてが決まっていた。
古い客席を外していくと、摩耗の地図が出てきた。通路側の席は、肘掛けの角と座面の縁が擦れて、布の目が寝ている。人が立ったり座ったりするたびに、そこに手と腿が触れるからだ。中央のいい席ほど、座面の真ん中が深く沈んでいた。長く座られた席ほど、へたっている。布をめくれば、どの席がよく座られ、どの席が空いていたかが、座られ方の偏りとして全部出てくる。客席は、観客の地図でもあった。
劇場の布は、家具の布とは規格が違う。防炎性能の証明書がついていなければ、そもそも張れない。燃えにくい繊維で織られ、試験を通り、番号の入った証明が一枚ずつついてくる。万が一のとき、客席が火を広げないための布だ。座り心地の前に、まず燃えないこと。私はその証明書の束を確認してから、布を裁ちはじめた。座る人を、最後は炎から守る層でもあるのだと思う。
椅子には、外せるものと外せないものがある。座面は工房に持ち帰って張れるが、肘掛けの框や、床に固定された背もたれは外せない。外せるものは工房で、外せないものは劇場の現場で張る。この仕分けを最初に間違えると、運ぶ手間も、人の配置も全部狂う。外せる座面に番号の札をつけて運び出し、外せない部分は現場張りの班が劇場に残った。どこで作業するかを決めることが、もう仕事の半分だった。
いちばん神経を使ったのは、戻す場所を間違えないことだ。席にはすべて番号がある。ト列の十二番の座面は、ト列の十二番にしか戻らない。外すときに、座面と部材の一つ一つに、席番を書いた札をつけた。数百枚の札が、工房と劇場のあいだを行き来した。札を一枚取り違えれば、どこかの席が一脚、合わない座面で座られることになる。表からは見えない。だが、座った人の体は気づく。
休館が明けた初日、私は客席のいちばん後ろに立っていた。開場の時間になると、客がぞろぞろと入ってきて、私たちが張り替えた席に、何も言わずに座っていった。満席だった。数百人が、自分の作った座面の上に座り、幕が上がるのを待っている。誰も座り心地のことなど考えていない。それでいい。良い椅子は、座っていることを忘れさせる椅子だ。私は淡々と、その光景を見ていた。
幕が上がり、客席が暗くなると、座面はもう見えなくなった。次の張り替えは、何年か先になる。それまでこの数百脚は、毎晩、見ず知らずの誰かに座られ続ける。私はもう、その場にいない。それでも、座られ続けるのが椅子なのだ。座られて、へたって、また誰かに張り替えられる。見えない層を作る人間の仕事は、そうやって、客席の暗がりのなかで続いていくのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。