核は強い。刈って初めて見える堤防の異常、握りこぶしほどの陥没、それを写真に撮って報告書に添える手つき。そして「草刈りも点検のうち」という先代の一言。この骨格は本物だ。問題は、書き手がその核に到達するまでに、蝉時雨と朝露の書き割りで夏を立ち上げ、最後にもう一度「これが、この仕事なのだ」と自分で要約してしまっていることだ。前作で「数字で閉めろ、足は勘だ」を体得した語り手が、今作ではなぜか、断定を避け、雰囲気に頼っている。数字で眠る時間を決める人間の文体には、見えない。
「夏の早朝、堤防に立つと、蝉時雨が四方から降り注ぎ、朝露に濡れた草が足元できらきらと光っていた。」
蝉時雨、降り注ぐ、朝露、きらきら。「文学的な夏の朝」を量販店で一式そろえた一文です。この語り手が本当に二十三年あの斜面に立っているなら、出てくるのは「きらきら」ではなく、露で長靴の中まで濡れる感触、刈る前に草を払うと水が腿にかかること、露があるうちは刃に草が貼りつくこと——作業の身体です。きらきらは観光客の語彙であって、門番の語彙ではない。生成された“それっぽい夏”の典型で、いちばん最初に削るべき装飾です。
「私はこの仕事をどこか軽く見ていたのだと思う。」/「当時の私には、その意味がよく分からなかったのかもしれない。」/「腑に落ちたのは……あの陥没を見つけた夏だったように思う。」
前作のこの男は、閉門の目安を「三・二メートル」と数字で断言する人間でした。水位三・一で止まった夜を、二十三年ぶんの記録簿から数えられる人間です。その語り手の回想が「〜と思う」「〜かもしれない」「〜ように思う」で埋まっているのは、若手の頃の心理ではなく、断言を避ける作者の保険にすぎない。数字の人なら、「軽く見ていた」と言い切れるはずだし、「数年が経った夏」ではなく「就いて五年目の夏」と書けるはずです。語尾の揺れが、人物の芯を溶かしている。
「ガソリンとエンジンオイルを混ぜたもので、その比率を間違えると、機械はすぐに焼きつく。」
水位を「三・二メートル」で語った男が、混合比を「比率」で逃げている。混合燃料は二五対一か五〇対一か、機械ごとに決まった数字があり、彼はそれを毎朝はかって作るはずです。数字で生きる人物の手つきを描くなら、ここは「五〇対一」と書く一点です。比率という抽象語でぼかした瞬間、この道具描写は、刈払機を持ったことのない者の作文に落ちる。前作の強さは固有の数字にありました。今作はその武器を自分でしまっている。
「低い、こもったような羽音がする場所には、近づかない。」
蜂を音で知る、という核は良い。だが「低い、こもったような羽音」は、説明であって観察ではありません。実際に毎夏それで命拾いしている人間なら、刈払機のエンジン音の下から、どの瞬間に、どんな違いとして蜂の音が立ち上がるのかを書けるはずです(エンジンを切った直後の数秒に聞く、とか、特定の茂みだけ羽音で空気が重い、とか)。いまの一文は、自然番組のナレーションのように外から眺めている。手帳に巣の位置を書く挿話も、実物——どんな手帳に、どう書くのか——が見えないため、設定の説明で終わっています。
「『ご苦労さま』と言ってくれる人。それから、『税金で草刈りか』と言い捨てていく人。」
素材は鋭い。だが、二つの声を「二通りの言葉」と整理した時点で、現場が図解になってしまった。「税金で草刈りか」は、いつ・どんな人に・どんな天気の日に言われたのか、一回の具体に絞れば刺さるのに、一般化したせいで例文になっている。しかも、その言葉への返しが「やはり少し、こたえる」という内面の報告で済まされ、すぐ「見た目を整えるために刈っているのではない」という反論=主題に橋渡しされる。声を、主題への踏み台に使ってはいけない。
「草を刈るのは、堤防の声を聞くためだったのだ。見た目のためではない。これが、この仕事なのだ。」
致命的なのはここです。陥没を見つけ、写真に撮り、報告書に添えた——その動作で、主題はすでに完全に運ばれている。なのに最終段で「堤防の声を聞くため」と詩的に言い換え、「見た目のためではない」と七段落前の自分を要約し、さらに「これが、この仕事なのだ」と判子を押す。前作も末尾で「それが、この仕事なのだと教わった」と同じ型に逃げていました。二作続けて同じ結びに着地しているのは、書き手の癖です。意味は陥没が運んでいる。語り手が運んではいけない。
「私は刈る前に、かならず耳を澄ます。」
この一文だけ取り出すと、猟師にも、整備士にも、登山ガイドにも置けてしまう。耳を澄ます、で止めず、何の音を聞き分けようとしているのか(蜂か、刃に噛む石か、エンジンの不調か)まで書いて初めて、シオミの耳になる。汎用の所作で段落を始める癖は、前作にはなかったものです。今作は全体に、固有名詞と数字が減り、所作と気分が増えている。
残すべきは四つ。刈って初めて地面が見えること、握りこぶしほどの陥没、それを写真に撮り報告書に添える動作、そして「草刈りも点検のうち」の先代の一言。削るべきは、蝉時雨と朝露の書き割り、「〜と思う」「〜かもしれない」の留保語尾、そして最終段の主題解説と「これが、この仕事なのだ」の判子。改稿では、混合比を「五〇対一」と数字で書き、年数を「五年目」と数字で書き、蜂の音を作業の中の一瞬として書くこと。この男は数字で眠る時間を決める人間です。文体も、数字で締めてください。意味は陥没が運ぶ。語り手が運ぶのではない。