子牛の、最初(第二稿)
育成牛の、初めての枠場

シシドノドカ(37歳・牛の削蹄師15年)

大人の牛は枠場を知っている。月に一度通ってくる牛は、入口でベルトを腹に回すと、待っていたように力を抜く。子牛はその逆だ。育成牛の最初の削蹄は、いつも、その子にとって生まれて初めての保定で、腹に回したベルトに、力が入りっぱなしになる。

その朝、酪農家が引いてきたのは生後十か月の育成牛だった。耳には黄色い耳標、四七番。枠場の入口で四本の足を突っ張って、長靴一足ぶんも進まない。引き綱を引くと、群れから離された分だけ高い声で鳴いた。大人の牛が枠の前で出すのは、諦めの溜め息のような鼻息だ。子牛のこの声は、まだ何も諦めていない声だった。

後肢をロープで上げると、成牛なら預けてくる足の重みが、四七番では蹴り返してくる力に変わる。八百キロには遠い体だが、その分だけ動きが速い。私は太腿で子牛の体を枠の側に寄せ、自分の肩で尻を押さえた。声はかけない。かけるとしたら、それは牛にではなく、自分の手の速さを落とすためだ。やがて蹴りが止んだ。

育成牛の蹄は、柔らかい。大人の牛の角質が乾いた木なら、子牛のそれはまだ水気を含んだ若木で、鎌がよく通る。よく通るぶん、削りすぎる。一削り多いだけで蹄底が薄くなり、地面の小石が痛む。私は鎌を入れるたびに指の腹で底の厚みを確かめた。削りやすさは、そのまま危うさだ。

四七番の前肢を見ると、内側の壁が外側より高く伸びていた。このまま固まれば、この子は外側へ蹄を向けて立つ。子牛の柔らかい関節は、いまの角度のまま育っていく。私は内と外を同じ高さに削り、地面に四点を等しく着けた。子牛の蹄を削るのは、伸びているからではない。これから先の、固まる前の角度を決めるためだ。

酪農家が脇から言った。「この子はまだいいべ。蹄なんて、たいして伸びてねえ」。私はグラインダーを止めて、四七番の前肢を地面に着けさせた。「ここ、内が高いでしょう。いま真っ直ぐにすれば、真っ直ぐ立つ。放っておくと、二歳で外を向きます」。蹄は伸びていなくても、もう曲がりかけている。原因と、その先まで言わないと、人は来月また同じ足を連れてくる。

同じ牛舎の同じ餌でも、子牛の蹄は一頭ずつ違う。三〇番は左右がそろっていて、削るところがほとんどない。四七番は内が高い。耳標の数字は管理の記号だが、私の鎌の下では、その数字の差が、内側何ミリという蹄の差になって出てくる。私が覚えているのは番号ではなく、その番号の足が前回どう着いていたかだ。

枠から出すと、四七番は最初より静かに歩いていった。覚えるのは私だけではない。次に私が来るとき、この子の体は、ベルトに力を入れずに枠に入るはずだ。二回目の四七番は、上げた後肢を、もう蹴り返してこない。その軽くなった手応えひとつが、最初の削蹄を痛がらずに終えられたことの、たった一つの証しになる。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。