シシクラゲン(48歳・遊園地の機械整備26年)
閉園のチャイムが鳴って、最後の客が帰っていく。歓声が消えたあとの遊園地は、まるで別の生き物のように静まりかえる。私たちの夜は、そこから始まる。観覧車は、この園でいちばんゆっくり回る機械だ。そしてゆっくりだからこそ、世話のいちばん長くかかる機械でもある。ロマンチックに見える大きな輪の裏には、夜どおしの点検がある。
まず、ゴンドラを一台ずつ見る。輪を少しずつ回しながら、地上に降りてきたゴンドラの扉を開け、閉め、ガラスの窓を確かめ、また送り出す。次のゴンドラが降りてくる。また開けて、閉める。うちの観覧車はゴンドラが何十台もあって、一周させて全部の扉を一度ずつ確かめるのに、けっこうな時間がかかる。扉の建て付け、ヒンジの遊び、窓の固定。子どもが中で暴れても、扉は開いてはいけない。降りてくるゴンドラを、私は一台ずつ待っている。
輪の中心には、巨大な車軸がある。あの大きな輪の重さが、全部この一本に乗っている。軸受けに、グリスを差す。グリスガンの先を継手にあてて、決まった量を押し込む。古いグリスが端から押し出されて、黒くなって出てくる。それを拭う。回り続ける重さを支えているのは、結局この油の膜一枚なのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになるのかもしれない。給脂の周期は、台帳に書いてある。
観覧車は、夜になると光る。輪の骨組みに沿ってイルミネーションの球が並んでいて、これが切れる。一つ切れると、夜景の側から見たとき、輪の縁が一か所だけ欠ける。だから球を替える。骨組みの中に入って、光る輪の内側から、切れた球を探して替えていく。外から見れば、観覧車はきらきらと美しい。中に入ると、配線とソケットの並んだ、ただの鉄の骨だ。美しい夜景は、その骨の中の作業でできている。
風の日のことも書いておきたい。観覧車は、速い機械より風に弱い。ゆっくり回るということは、長いあいだ風にさらされ続けるということで、大きな面で風を受けて、ゴンドラが横に流される。うちには運休の風速基準があって、その数字を超えたら止める。コースターなら一周で逃げ切れるが、観覧車の客は、止まった輪の上に取り残される。ゆっくりだからこそ、煽られる。あの大きさは、強さではなく、むしろ弱さの形なのだと思った。
輪の張りも見る。観覧車は、構造でいえば自転車の車輪と同じ理屈だ。中心から外周へ、スポークが何本も張られていて、その張りで丸い形を保っている。自転車の車輪を、何十メートルにも巨大にしたものだと思えばいい。一本だけ緩んでいると、輪のどこかに歪みが出る。だから張りが均等かを、一本ずつ確かめていく。巨大な車輪の、巨大なスポーク。理屈は、手のひらに乗る車輪と何も変わらない。
満員の週末と、がらがらの平日とでは、機械の疲れ方がちがう。土日に全部のゴンドラへ客が乗れば、車軸にかかる重さも、スポークの張りへの負担も増える。平日の昼に空のゴンドラばかりが回っているときは、機械は軽い。乗る人数で、その日かかった負荷が変わる。私たちは点検のたびに、その日が混んだか空いていたかを、部品の側から読んでいる。歓声の多かった日は、機械もそのぶん働いている。
点検の途中、頂上のゴンドラに乗って止めることがある。いちばん高いところから、閉園後の遊園地を見下ろす。客のいない園に、保安灯だけがぽつぽつと灯っている。昼にはあれほど鳴っていた歓声が、いまはどこにもない。観覧車の、いちばん高いゴンドラの中で、私はひとり、暗い園の灯りを見ている。この景色を見るのは、たぶん私たちだけだ。
速い機械は、止めれば止まる。けれど観覧車は、ゆっくりだからこそ世話が長く、ゆっくりだからこそ風に弱く、ゆっくりだからこそいちばん高いところまで人を運ぶ。いちばんゆっくりな機械の世話をすること、それが観覧車を整備するということなのだ。昼の歓声を支えているのは、この夜の、長い世話なのだと思う。今夜も私は、降りてくるゴンドラを、一台ずつ待っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。