昭和団地広告の未来信仰(第二稿)
「明日のマイホーム」と「3DK」の誕生

ワタナベ(65歳・元会社員)

小学高学年のころ、夕刊の下段に毎週出る団地広告を、食後に父の横からのぞいた。ざらついた紙に黒い細線で四角が並び、「六畳」「四畳半」「DK」とだけある。見出しだけ朱で太く、「入居受付中」がいちばん大きい。写真の若い夫婦は真正面を向かず、窓の外か食卓を見ていた。そこが妙に気になった。こちらを見ない家族は、もう広告の中で暮らしていた。

「3DK 月々八千九百円」「明るいダイニングキッチン」「奥様に便利な水洗設備」

国電の中吊りでは、この手の文句が頭の上で揺れた。3DK は部屋数の表示ではない。食べる場所はここ、夫婦はここ、子どもはここ、と家族の置き場を先に決める符号だった。子どもの目にも、それは部屋の説明より命令に近かった。

私が最初に見たのはベランダでも外観でもない。DKの脇の小さな流し台だった。銀色の蛇口、戸棚の丸い取っ手、床の白いタイル。母の台所は板張りで、冬は足元から冷えたから、その三つだけで勝負がついていた。広告は家を広く見せていない。台所を明るくし、妻の動きを短く見せていた。家の中心は居間ではない。DKだった。

そして、いない人がいた。祖母である。わが家では夕方になると祖母が座布団を二枚重ね、柱のそばで針箱を開いた。広告の間取りには、その一角がない。押入れはある。子ども部屋もある。応接間ふうの洋室まである。だが年寄りの定位置だけが消えている。住宅広告は新しい家を描いたのではない。先に、新しい家族の人数を削っていた。

大人になって古書店で昭和三十年代の住宅雑誌をめくると、間取り図の横に冷蔵庫、電気洗濯機、ガスレンジの名が細かく刷られ、レースのカーテンまで描き込まれていた。住宅会社が売っていたのは壁と天井だけではない。朝六時に誰が立ち、どこで味噌汁をよそい、どこに鞄を置くか、その順番まで一緒に売っていた。家電の型番より、暮らしの型のほうが先に配達されていた。

子どもの私は、あの広告をただ羨ましがっていた。広さではない。家の中に迷いがないことが羨ましかった。誰がどこに座り、どこで食べ、どこで寝るかが、細い線と短い言葉でぴたりと決まっている。年を取って見直すと、その整い方は少し怖い。間取り図の線は親切ではない。あれは選別の線だ。入れない一人分は、最初から白い余白に追い出されている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。