匿名希望(大学教員)
朝、テレビをつけたまま、台所で朝食の支度をしていた。やかんが鳴り始めて、ニュースが切り替わった。イランで戦争が続いている。失業者が増え、ある男性のインタビューが映った。収入が生活費に届かない、と通訳が伝えた。映像が彼の手元を映す。何か温かい飲み物の薄いコップを、両手の指先で覆っていた。指は痩せていた。
やかんが鳴り終わるまで、その手元を見ていた。映像が次のカットに切り替わって、私はインスタントコーヒーを淹れた。世界の遠さと、自分の朝の動作が、別々の速度で並んでいた。今日はその速度差が、いつもより少しだけ気になった。
玄関を出る前にカレンダーを見て、今日が赤い日だと気づいた。赤いのに、出勤する。気づくのが遅かった。何の日だったか、と思ってスマホで調べた。昭和の日。
あ、と声に出した。誰も聞いていなかった。
電車に乗ってから、座席の隅で続きを調べた。もとは天皇誕生日だった。一九八九年、昭和天皇の崩御で四月二十九日は宙に浮き、翌年から「みどりの日」になった。昭和天皇が植物学者だったから、と説明された。要するに、特定の人物の誕生日を、人物名を消した一般名詞に切り替える工夫だった。
二〇〇七年、その「みどりの日」は五月四日に移り、四月二十九日は「昭和の日」になった。趣旨書には「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と書いてある。顧みる、というのが古い動詞だな、と思って、二度読み直した。
九時十分から一限。教室はいつもより人数が少なかった。祝日に出てきた学生は、それなりに律義な層だ。窓の外に新緑が見える。連休の入口の朝の光は、平日とほんの少しだけ角度が違って、前列まで届いていた。
声を出してみると、普段より聞き取りやすい気がした。少人数だから、というだけではないかもしれない。出てきた学生は、自分でこの時間を選んだ意識を、多少なりとも持っているのだろう。私も、いつもより少しだけ丁寧に話した。
十一時から会議。中身は、ここには書かない。書く文章と、書かない文章を、人は毎日いくつか並行して書いている。書かない文章のほうが多い日もある。今日はそういう日だった。
本当に配慮を考えている人の書いた文章は、配慮を考え始めた人に、それが配慮の文章として静かに届く。まだその段階にない人には、ふつうの記述として読まれる。それでいい。配慮の文章は、誰かを置き去りにしないために書かれていて、読み手の今いる場所に合わせて、それぞれの深さで届けばよい。いつか必要になったときに、もう一度読み返してもらえれば、それで十分にうれしい。
午後の会議は別件。長引いた。話の途中で、別件のメールが届いた。「お手数ですが、本日中に」と書いてあった。本日中、と書いた人は、今日が祝日だと知っているはずだった。知ったうえで、書いた。私もその場で「悪い」と返すつもりはなかった。返さない、という選択を何度も繰り返してきた。繰り返すと、対応の癖が少し緩くなる。緩くなった分、たぶん別のところで助かっている。
会議は午後五時前に終わった。廊下の窓から、薄暗くなり始めた空が見えた。雨が降りそうな雲だった。
自分の部屋に戻って、本日中の依頼の一部に手をつけた。全部は今日のうちには終わらない。終わるところまで終わらせて、続きの目印をファイルの末尾に書き残し、扉を閉めた。気づくと、午後六時を二十分ほど回っていた。
六時開始の懇親会に、二十分遅れて着いた。会場は学内のカフェテリア。ビュッフェ。入った時には、サラダのトレーはほとんど空になっていた。残っている料理を皿に取って、ビールを一杯注いで、空いていた席に座った。
「お忙しかったんですね」と隣の人が言った。少し頷いた。一口ビールを飲んだ。冷たい液体が喉を通って、ようやく一日の身体が会場に追いついた。
食事が一段落したころ、司会のエース級の中堅教員がマイクを取った。景品の目玉はニューヨーク往復旅行券。会場がざわめいた。
司会の彼が、声を張り上げた。
「ニューヨークへ行きたいかーっ!」
一瞬の沈黙。
「……これ、知ってる人います? 昭和の『アメリカ横断ウルトラクイズ』の決め台詞ですよ。福留さんが成田空港で叫ぶやつ。さあ、昭和の人、手を挙げてみてください!」
会場が、わっと笑った。私も笑った。そして、手を挙げた。挙げた手のまわりに、同世代の手がいくつか並んでいた。
昭和の終わり、私はまだ小学生か中学生だった。テレビから「ニューヨークへ行きたいかーっ」と煽られて、「行きたーい」と心の中で返していた一人だった。
行きたかったのは、地理上のニューヨークではない。ウォール街でも、自由の女神でもない。「ここではないどこか」で、その「どこか」に、当時の若者は仮の名前を貼っていた。「パリ」でもよかった。「ロンドン」でもよかった。地名そのものは、たぶんどうでもよかった。
ニューヨークと言うと、東京や名古屋ではない、もっと別の論理で動いている世界、自分が誰でもない場所、誰も自分を知らない場所、を意味した。あそこに行ければ別人になれる、と思っていた。今はあれが仮称だったと分かる。当時は分からなかった。分からないまま、長く抱えていた。
司会の彼が「昭和の人、手を挙げて」と言ったとき、十人弱の手が挙がった。私もその一人だった。挙げた手の感触は、子供の頃にテレビの前で挙げていた手と、当然、同じ手だった。ずっと同じ手で、ずっと同じ世代を生きてきている。
昭和は遠くなった、と人が言うとき、私は遠くなった側に立っている。立っている側から「遠くなった」と言われる感覚は、悪いものではない。確認されることで、足元の昭和の重みが、ほんの少し軽くなる。軽くなった分、こちらは前を向いて歩ける。
ビンゴが続いている。リーチがかかる、ビンゴが出る、歓声が起きる。私は数字に丸をつけながら、別のことを考えていた。
懇親会に出ること、というのは、仕事だろうか。
業務命令ではない。出席は任意だ。それでも私は出る。出ると、何かが少しほどける。仕事の続きが廊下で立ち話になり、別の研究科の先生と数年ぶりに挨拶し、若い人の様子に少し触れる。そういう薄い時間が、自分の仕事の輪郭を、ときどきなだらかにしてくれる。
これを感情労働と呼ぶのは正しいか。場のために感情を少し調達する、ということは確かにある。ただ、調達した感情が、いつのまにか本物の感情を呼び起こすこともあって、両者を切り分けるのは案外難しい。
「何のためにやっているのか」を、自分にだけ静かに問うのは、悪くない。答えはその夜のうちに出なくていい。出ないまま、また来年も似た夜に出席する。それが私の懇親会の使い方になっている。
ビンゴが終わって、参加者がデザート台に集まった。私も席を立った。プリンが並んでいた。紙の小さなカップ、薄黄色、表面にカラメルソース。よくある、普通のプリンだった。アラザンも、ガラスの器も、なかった。
プリンを一つ取って、席に戻ろうとした。途中で、運営の役員の先生がそばを通って、こっそり声をかけてきた。
「あれ、昭和の日にちなんで、プリンを並べたそうですよ」
なるほど、と頷いた。並んだプリンが昭和の喫茶店を呼び起こすかどうかは、参加者各々の中で決まる。役員の先生の小声が、私にとっては、その合図になった。
席に戻って、匙ですくった。プリンはプリンだった。甘さは、私の知っている昭和の喫茶店のプリンより控えめ。令和の客の舌に合わせたのだろう。今日は、ただプリンとして並んでいた。それで十分だった。
匙の動きを止めた一秒、私は朝のニュースの男性の指先を、もう一度思い出した。彼の指は、温かい飲み物の薄いコップを覆っていた。覆われた飲み物の中には、たぶんプリンより、もっと切実な甘さがあった。
ふと、別のことを考えた。
朱鷺。学名はニッポニア・ニッポン。日本という国名を二度重ねて学名にされた、近代の名残の鳥である。新潟県佐渡島の、絶滅の手前まで追い詰められた鳥。一九八一年、日本産の最後の数羽が捕獲されて、野生個体は事実上ゼロになった。二〇〇三年、佐渡で飼われていた最後の日本産の朱鷺、キンが死んだ。日本産の系統は、そこで途絶えた。
そこで終わらなかったのが、この鳥のいいところだ。一九九九年、中国から朱鷺の番が日本に贈られた。佐渡で人工繁殖が始まり、二〇〇八年に試験放鳥。最初の数年は次々に死んで、計画は何度も挫けかけた。それでも続けた。続けたあげく、放鳥された朱鷺は野外で繁殖を始め、雛を育て、その雛がまた繁殖する。二〇二〇年代には、佐渡の野生個体は数百羽まで戻った。今では、空を渡る朱鷺の写真が、新聞の地方欄に普通に載る。
一度途絶えた線が、別の系統と接ぎ木されて、また伸び始める。減った、と思っていたものが、減ったまま終わらないことが、ある。今日の私は、なぜか少し励まされていた。
「昭和の人だったら分かりますよね」と司会に呼ばれて、わっと笑った人たちの顔を、もう一度思い出した。指された側の笑いには、寂しさより、ほっとした感じが強かった。「忘れられていなかった」という安堵が、笑いの底にあった。減っていく側の人たちが、まだ笑える。それは、ニッポニア・ニッポンの放鳥のニュースと、同じ系統の話だ。
今日、私は何を顧みただろうか。
朝のニュースの男性の指を、一度。教室の窓から見た新緑を、一度。「本日中」のメールを、一度。ウルトラクイズの掛け声で笑った自分を、一度。プリンの普通のプリンらしさを、一度。佐渡の空を渡る朱鷺の羽ばたきを、一度。小学生の頃に思い描いた仮称のニューヨークを、一度。
これらは「顧みた」と言えるのか、それとも、ただ「思い浮かべた」だけか。差はたぶん、事後の身体に何かが残るかどうか、にある。今日の身体は、朝のテレビの前の身体と、ちょっとだけ違う。違いは数値化できない。それでいい。
八時過ぎに会場を出た。雨は、思ったより弱かった。傘を差すか迷うくらいの小雨。差さずに歩いた。
ウルトラクイズで手を挙げて笑ったあと、自分は完全に昭和の人の側にいる、と改めて確認していた。確認すると、ほんの少し誇らしい気持ちが残った。寂しさは、思ったより薄かった。
減っていくものを減らさないために、誰もが小さな所作を毎日いくつかしているのだろう、と歩きながら考えた。それが朱鷺であれ、語であれ、自分の昔の憧れであれ。所作は小さい。小さいから、目立たない。目立たないから、続けられる。
駅に着いた。電車が来た。乗った。窓の外の街灯が、小雨でうっすら滲んでいた。
家に帰ったら、テレビをつけずに、朝のニュースのことをもう少し思い出そう、と思った。「本日中」の依頼への返信は、明日の朝でいい。今日は、判断を一つだけ出した日でいい。
家の鍵を回した。玄関の灯りをつけた。今日は、いい一日だった。