イシカワケンタロウ(健康管理アドバイザー)
横に立つ、と書こうとして、やめた。立つと、どうしても見下ろす角度になる。だから座る。
この連載の題名を決めるときに、何度か書き直した行がこれだった。「吸う人の横に」までは早く書けて、「立つ」か「座る」かで長く止まった。止まった理由を、先に書いておきたい。
私の職業は、やめさせる側の仕事だ。理学療法士として病院にいたころ、在宅に出るようになってからも、呼吸の話になればたいていタバコをやめることを勧めてきた。勧めて、やめたあとの数字を見て、やめられなかった人の横で別の提案をする。その往復の中にずっといた。
三年前、七十代の男性の家に通っていた。慢性閉塞性肺疾患の、もう進んだ方の段階だった。細いチューブで酸素を鼻から入れながら、玄関先の踏み石のところまで出て吸っていた。家族には内緒で、という体裁だったが、家族はとっくに知っていた。私も知っていた。知っていて、呼気の音を背中側から聴いた。口すぼめ呼吸の練習をしている最中の、吸って、止めて、細く吐く、その「細く吐く」のところが、彼の場合、タバコを吸うときの吐き方とほとんど同じだった。細く、長く、下のほうへ。練習の吐き方を、タバコのほうから借りてきたのだと、私はある日気づいた。気づいて、何も言わなかった。
やめさせる側の言葉は、もう十分にある。健康被害の数字を私は否定しない。否定してしまえば、私の仕事の大半が立ち行かなくなる。そのうえで、やめない人、やめられない人の隣に、椅子を引いて座る時間があっていい。最近そう思うようになった。
立つと見下ろす。座ると、背中の丸み、胸椎のあたりの後弯、指でフィルターを持ち替える小さな癖、灰を落とす前に一度こつんと人差し指を動かす間合い、そういうものが目の高さに来る。顔は見なくていい。肩のほうに視線の角度を下げて、そのまま長く見ている。
この連載で私がやりたいのは、たぶん、そのくらいのことだ。
オフィスビルの裏の、屋根のない喫煙スペースの前を、四月の雨の日に通った。軒の下に何人かが寄って立っていた。そのうちの一人が、煙を吐くときだけ顎を少し上げて、顎の角度でちょうど軒の外へ煙を送り出していた。練習された動きだった。あの動きを、どこで身につけたのかを、私は知りたい。知って、何かを言うためではない。