雨の日、喫煙所の屋根の下
吸う人の横に座る #1

イシカワケンタロウ(健康管理アドバイザー)

オフィスビルの裏手に、屋根のない喫煙スペースがある。四月の雨の日、そこを通りかかると、建物の軒の下に何人かがすし詰めで立っていた。軒の幅はせまく、全員が濡れずに済むほどではない。肩を少しすくめ、片側だけ壁に寄せるようにして、煙を雨のほうへ逃がしている人がいる。吐いた煙は、すぐに雨の粒にぶつかって、流れ方を変え、下のほうへ落ちていくように見える。

私は傘をさしたまま、少しだけ足を止めた。そこにいる人たちの顔はよく見ていない。見ていたのは、肩の形のほうだった。

告白

はじめに、書いておかなければならないことがある。私の職業は、やめさせる側の仕事です。理学療法士として病院に勤めていたころも、在宅でのリハビリに関わるようになってからも、呼吸の話をする場面では、たいていタバコをやめることを勧めてきた。勧めるだけでなく、やめたあとの変化を、数字や呼吸音で確かめるのも私の役目だった。

だからこの連載は、告発でも擁護でもない。告発はもう十分にあるし、擁護を書く立場に私はいない。

先に、ふたつを置いておく

書き始める前に、先回りして脇によけておきたい言い方がふたつある。

ひとつめは、「吸うのは個人の権利だ」というような擁護。私がここでしたいのは、たぶんそれではない。権利という言葉は強くて、強すぎて、雨の日の軒下に立っている人の肩の角度には、うまく届かないように感じる。

ふたつめは、「昔はみんな吸っていた」というノスタルジーのほうだ。会議室にも電車にも煙が漂っていた時代の話を、私は少しは知っている。知っているけれど、あの煙の記憶で、いま軒下に立っている人を包み直すことは、たぶんできない。懐かしさは、いまそこに立っている背中の代わりにはならない。

当事者ではなく、他人事でもない距離から、吸う人の肩のほうに、視線の角度を一段だけ下げてみたい。

立ち位置

やめさせる側の言葉は、もうたくさんある。健康被害のデータも、私は否定しない。否定してしまえば、私の仕事のほとんどが立ち行かなくなる。そのうえで、しかし、やめない人、やめられない人の横に、少しだけ椅子を引いて座ってみる時間があってもいいのではないか、と最近思うようになった。

横に立つ、と書こうとして、やめた。立つと、どうしても見下ろす角度になる。だから座る。座って、同じ高さにはならないにしても、背中の丸みや、指先の動きが、こちら側の目に入る高さまで降りてくる。

この連載で私がやりたいのは、それだけのことだ。吸う人の肩のほうに、視線の角度を一段だけ下げること。答えを出すためではなく、まだうまく言葉になっていないものを、急がずに見ておくために。

雨は、まだ少し降っている。軒の下の煙は、今日も下のほうへ流れていくように見える。

——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。健康に関する判断は医療専門家にご相談ください。