「急に冷めたサークル」の背後には、物理学の現象がある。水が99℃から100℃に達した瞬間、液体から気体へと一気に状態が変わる。コミュニティも、同じように、ある臨界点を超えると急激に崩壊する。それを相転移(phase transition)と呼ぶ。
相転移は、システムが連続的に変化していた状態から、ある臨界点で不連続に別の状態に移る現象である。水の沸騰、磁石の磁化喪失、超伝導の発現。微視的な変化が積み重なり、ある閾値で全体構造が一気に書き換わる。
20世紀後半以降、相転移の数理は社会現象にも応用されるようになった。情報のカスケード、流行の伝播、コミュニティの崩壊、革命の発生。個別の小さな変化が、集合的に閾値を超えると、システム全体が別の状態に飛び移る。
本作の読書サークルで起きたことは、まさに相転移である。三年間、二十人のサークルは安定していた。ある月、リーダー的存在の一人が「就活で忙しくなる」と言って抜けた。これだけなら、サークルは続いていた。翌月、彼の親友が続いた。三人目、四人目が続く。三ヶ月後には参加者が六人になり、半年後には自然消滅した。
個別の脱退は小さな変化だった。しかし「メンバーが揃っているから来る」という相互の期待が、ある人数を切ったところで崩れた。閾値を超えると、残ったメンバーにとっても「もう成立していない」と判断する根拠が連鎖的に強まる。二十人を支えていたのはリーダーの個人的魅力ではなく、彼が「来る」という共有された期待だった。
相転移の特徴は、臨界点の手前ではほとんど予兆が見えないことである。99℃の水と100℃の水は、見た目ほぼ同じ。だが、後者の次の瞬間は、別の状態である。
コミュニティの臨界点を避けるには、構造的な冗長性が必要だ。一人のリーダーに依存しない、複数の中心、複数の活動軸。それでも、相転移は完全には防げない。あの読書サークルは、相転移の一例として、ソノダの記憶に残った。
シリーズ「裏の糸」は、専門家には当たり前の概念を、暮らしの言葉で語り直す試み。本作はそれらに続く一本である。シリーズ全作(28本)のリストは カテゴリM から。