核は強い。レーダーを囲む数分の沈黙、握ると崩れない土、「あと十分くだされば、打席だけは作れます」という見立ての一言、翌朝の半日で昨日の雨をなかったことにする手つき。ここだけで一本立つ。問題は、書き手がこの現場の強さを信用せず、「雨は宿敵」「天との攻防」という既製の額縁で全体を縁取り、最終段で「天気と生きるのが整備なのだ」と主題を自分で言い切って閉じてしまっていることだ。デビュー作で身につけたはずの留保語尾への警戒も、ここでは緩んでいる。観察の人が、また解説の人に戻ってしまった。
「屋根のない球場で働く者にとって、雨は永遠の宿敵だ。空が崩れる気配がした瞬間から、私たちと天との果てしない攻防が始まる。」
タイトルからして「攻防」で、冒頭で「永遠の宿敵」「天との果てしない攻防」と擬人化の大砲を二発撃っている。これは天気を相手取ったスポーツコラムの常套句で、土を握る人間の言葉ではない。この語り手の凄みは、天を敵に仕立てず、ただ水を含んだ土の重さを手で量るところにあったはずだ。額縁が立派すぎて、中の絵が見えない。
「雨と闘う男たちの背中が、夕暮れのグラウンドに並ぶ。その光景は、嫌いではなかった。」
「闘う男たち」「夕暮れ」「背中」。三点セットで安い感動を調達している。シート展開の数十秒を本当に十七年やった人間が覚えているのは、男たちの背中という絵ではなく、自分の持ち場の手応えのはずだ——先頭がへりを引く速さ、自分の側の幅が出ているか、後ろの風おさえが間に合っているか。役割を「先頭の二人がへりを引き、左右が幅を出し」とせっかく具体的に書いておきながら、締めを「背中」の遠景に逃がしてしまっている。カメラを引いた瞬間に、生成された“それっぽさ”が顔を出す。
「十七年、私はこの戦いを繰り返してきたように思う。」/「私の口から出るのは、いつもそういう留保つきの言葉だったように思う。」/「私はそれをようやく学んだのだと思う。」
「ように思う」「のだと思う」が全編に散っている。とりわけ悪いのは、見立てを述べる場面まで「留保つきの言葉だったように思う」と、留保を留保で説明していることだ。審判に「いけそうか」と訊かれて答えるのは、この職業のいちばん断定的な瞬間のはずだ。そこを曖昧にぼかすと、現場の責任が消える。「思う」は、作者が断言の責任から降りるための保険に見える。
「乾いたおがくずが水を抱え込み、重くなったところを掻き出して捨てる。撒く、待つ、掻き出す。」
「撒く、待つ、掻き出す」とリズムよく三拍で並べたが、肝心の「待つ」が空白だ。実際にこれをやった人間なら、何分待つのか、待つあいだ何を見ているのか(おがくずの色が変わるのか、足で踏んで沈みを確かめるのか)が書けるはずだ。三拍のリズムは耳に心地よいぶん、観察の不在を隠してしまう。リズムで誤魔化さず、「待つ」の中身を一つ書くこと。
「結局のところ、天気と生きるのが整備なのだ。雨と闘うのではなく、雨を受け入れること。」
これはエッセイの結論を、結論文として書いてしまった典型だ。翌朝、半日かけて昨日の雨をなかったことにする——あの動作がすでに「天気と生きる」を全部語っている。それを抽象語で言い直すたびに、握り直す手の値打ちが下がる。しかも「雨と闘うのではなく、雨を受け入れること」は、第3段の「雨と闘う男たち」と正面から矛盾している。額縁で闘わせておいて、最後に受け入れろと諭す。主題は動作が運ぶもので、語り手が宣言するものではない。
「誰も見ていない。それでいい。気づかれない満点を守るのが、私の仕事なのだから。」
「気づかれない満点」はデビュー作「土の、通信簿」の核であり、この語り手の財産だ。だが二作目でそれを結びにそのまま再利用すると、観察から出てきた言葉ではなく、自分の決め台詞を貼り直しただけに見える。前作で勝ち取った一言を、今作では何も払わずに使っている。雨の話には、雨の話だけの最後の一手があるはずだ。
「地味で、終わりが見えなくて、そして誰も見ていない。」
この一文は、清掃員にも、夜勤の看護師にも、校正者にもそのまま置ける。「地味」「終わりが見えない」は感想であって観察ではない。降雨中にしゃがみ続ける数十分を本当に書くなら、合羽の襟から入る水の冷たさか、膝のつき方か、おがくずを掴む手の感触か——タチアラシ本人にしか書けない一点を出すこと。汎用の形容詞は、人物を消す。
残すべきは四つ。レーダーを囲む数分の沈黙、握ると崩れない土の重さ、「あと十分くだされば、打席だけは作れます」という断定の見立て、そして翌朝の半日で昨日の雨をなかったことにする手つき。削るべきは、「宿敵」「攻防」の額縁、「雨と闘う男たちの背中」の遠景、全編の留保語尾、最終段の主題解説、そしてデビュー作の「気づかれない満点」の使い回し。改稿では、天を敵にせず、ただ土と道具と手の話に戻ること。審判への返事は言い切りで書き、結びは説明ではなく動作で閉じること。意味は、握った土が運ぶ。語り手が運ぶのではない。