タチハラスズ(30歳・組紐職人8年)
染めの話、組みの話と書いてきたけれど、紐には最後にもうひとつ、房という仕事が残っている。組み上がった帯締めの端を、糸の束のまま残して整える。ここは飾りのようでいて、じつは紐の顔だ。窓辺には午後のやわらかな光が差し込んで、机の上には鋏が静かに置かれている。最後のひと手間にこそ、職人の心が宿るのだと思う。房を仕上げて、はじめて一本の帯締めは終わる。
房を切るときは、いつも少し怖い。組みは長い時間をかけて直しながら進められるけれど、房切りは一度きりだ。鋏を入れてしまえば、もう戻せない。揃えて、長さを決めて、思い切って切る。何ヶ月も組んできた紐の運命が、この一瞬の鋏の音で決まってしまう。だから私は鋏を持つたびに、息を止めているのかもしれない。
房にも種類がある。切り房は、糸の端をまっすぐ切り揃えたもので、すっきりとして格が高いとされる。撚り房は、何本かをまとめて指で撚りをかけ、ひと房ずつ細い棒のようにしたものだ。撚り房は手間がかかる。一本ずつ、指の腹で糸を転がして撚りを入れていく。礼装には切り房、ふだんには撚り房、というように、用途や格によって使い分ける。房の形ひとつで、その帯締めの性格が変わってくるのだと思う。
切ったばかりの房は、たいてい癖がついている。組んでいるあいだに巻かれていた跡や、染めや撚りのときの曲がりが、糸に残っている。そこで湯のしをする。蒸気を当てて、糸をまっすぐに整えるのだ。やかんの口から立つ湯気に房をかざすと、ばらけて縮れていた糸が、すうっと素直になっていく。蒸気を当てると、糸が蘇るような気がする。癖のついた糸が、もとのまっすぐを思い出していく時間だった。
修理に来る帯締めを見ていると、おもしろいことに気づく。締める真ん中の部分はまだしっかりしているのに、房だけが傷んでいる、ということが多いのだ。房は引き出しに仕舞うときに折られたり、抜き差しのたびにこすれたりして、締める部分より先に痩せていく。締めるところは無事なのに、房が痩せている。使われ方が、房に出る。
古い帯締めの房を見ると、その家での仕舞われ方が分かる。きちんと畳まれていた房には畳み癖がつき、丸めて引き出しに放り込まれていた房は、よじれた癖がついている。長くしまわれていた房は、引き出しのなかの年月のぶんだけ、独特の色とよじれを抱えている。房は、その帯締めが過ごしてきた時間を、いちばん正直に語る場所なのかもしれない。
仕上がった帯締めは、最後に一度、自分の手で締めてみる。検品だ。組みの硬さ、房のおさまり、全体の張りを、自分の腰のあたりで確かめる。自分の手で締めた感触が、これを買ってくれるお客さんの手の感触の、予告になる。私の手が「いい」と言えば、たぶんお客さんの手も「いい」と言ってくれる。そう信じて、ひと締めする。
染めが組みを決め、組みが紐を決める、と前に書いた。けれど最後に房がある。どんなに染めと組みがよくても、房の仕上げがだらしなければ、帯締めはしまらない。房が、その帯締めの全体の印象を決めるのだ。だから私は今日も、鋏を握りしめ、湯気の向こうで、最後のひと房を、そっと整えている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。