核は強い。濡れ色から乾き色を引き算しながら染めること。染めムラはすでに釜のなかで起きていて組みでは直せないこと。古い帯締めの修理で「今の褪せた色」に新しい絹を寄せること。この三点は、この職人にしか書けない。問題は、書き手がその三点を信じきれず、湯気と光の書き割りで場面を立ち上げ、最後に主題を一文で言い切って締めてしまうことだ。組紐の前作と同じ轍を踏んでいる。前作のレビューで指摘したはずの留保語尾も、また戻ってきている。色を扱う職人なのに、肝心の色の名と数字が、いちばん必要な場所で抜けている。
「染めが、組みのすべてを決めるのだ。だから私は今日も、見えない乾き色を見ながら、湯気の向こうの糸を、そっと沈めている。」
本文がさんざん見せてきたことを、最後に主題文として言い直してしまっている。「染めが組みのすべてを決める」は、読者が前段までで自分で気づくべき結論で、それを作者が先に言うと、検品で息を止める手や、褪せ色に寄せる手の説得力がいっぺんに下がる。「そっと沈めている」で終わるのも、組紐第一稿の「今日も静かにぶら下がっている」とまったく同じ余韻の偽装です。前作のレビューを読んでいないのですか。
「窓の外には季節の光が静かに差し込んで、湯気が部屋いっぱいにのぼっていく。」
光、静けさ、湯気。前作で叩いた「雨・匂い・静けさ」の三点セットが、染物版に着替えて再登場しています。八年も釜の前にいた人間が冒頭で言うべきは「季節の光」ではない。染め場の床の濡れ、明礬や鉄漿の刺すような匂い、上げたばかりの糸の重さ、排水の色——具体は無限にあるのに、いちばん安い「それっぽさ」を選んでいる。雰囲気が職人より先に立っている。
「経験と化学の、両方がいるのだと思う。」「直すというより、時間に合わせる仕事だった。」「組み台の前にいるときと、同じことを思う。」
釜の温度、媒染の選択、乾き色の予測——どれも、外せば糸が傷み色が狂う、後戻りのきかない判断の連続です。それを毎日決めている人間の述懐が「〜のだと思う」で柔らかく逃げるのは、若手の自信のなさではなく、断言を避ける作者の保険にしか見えない。とくに「経験と化学の両方がいるのだと思う」は、本人が日々その両方で決めているのだから、思うではなく言い切るべきところです。
「同じ染料でも、媒染を変えると色が変わる。」「同じ釜、同じ染料で、片方は赤みに寄り、片方は黄に沈む。」
これは観察ではなく説明です。実際に媒染をかけ分けた人なら、染料の名(蘇芳か、茜か)と、媒染の名(明礬か、鉄か)が口から出るはずで、「赤みに寄る/黄に沈む」も、明礬で赤、鉄で沈むという具体に落ちる。温度も同じで、「指の近くと湯気の立ち方で計る」と言いながら、その人の体の中にある目安の温度(八十度を越えさせない、等)が一つも書かれていない。固有名と数字を抜いた瞬間、職人の手つきは概念にすり替わる。
「いまの濃さから、明日の淡さを引き算する。見えていない色を見ながら、染めている。」
この一段は本作で最も良い。だが「引き算する」「見えていない色を見ながら」と、すでに抽象語で要約してしまっている。ここは具体の動作で書くべき場所です。濡れた糸を一本だけ抜いて、布で水を切り、灯にかざして「これが乾いたらこの淡さ」と見当をつける——その手の動きがあれば、引き算という言葉はいらない。せっかくの核を、自分の手で説明に薄めている。
「一枚を指して「これですか」と訊くと、「もう少し沈んだ」と返ってくる。札を繰る。また繰る。」
「もう少し沈んだ」は悪くないが、往復がここで終わってしまっている。お誂えの色合わせの本当の難しさは、客の言葉(沈んだ、渋い、明るい)が人によって指す色がずれていて、言葉では決して埋まらないことのはずです。なのに一往復で札に着地してしまうので、苦労が嘘になる。客が札を見て頷いたのに、染め上がりを見て「思っていたのと違う」と言う——そこまで書いて初めて、色合わせの地獄が立ち上がる。
「釜の前に立っている時間は、その細い境目の上を、ずっと歩いているような時間だった。」
「細い境目の上を歩く」は、料理人にも、外科医にも、綱渡りにも貼れる汎用の比喩です。境目とは具体的に何度から何度なのか、外したときに糸はどうなるのか(艶が引け、ごわつき、もう戻らない)を書けば、比喩はいらなくなる。比喩で逃げた瞬間、その人だけの釜が、誰の釜でもなくなる。
残すべきは三つ。濡れ色から乾き色を引き算する目、釜のなかで揺れが決まる染めムラの検品、そして古い帯締めの「今の褪せた色」に新しい絹を寄せる手。削るべきは、湯気と光の書き割り、「〜のだと思う」の留保語尾、最終段の「染めが組みのすべてを決める」という主題直叙。改稿では、染料と媒染を固有名で呼び、温度を体の中の数字で書き、色合わせは一往復で着地させず染め上がりまで揺らすこと。そして核は説明せず、糸を一本灯にかざす動作で運ばせること。意味は動作が運ぶ。説明が運ぶのではない——前作で言ったことを、もう一度言います。