糸染めの、釜
組む前の絹を、色に沈める仕事のこと

タチハラスズ(30歳・組紐職人8年)

組紐の話を前に書いたけれど、玉を掛ける前に、その糸を染める仕事がある。絹糸を染めるのは、組むよりずっと前の段階だ。釜に湯を張り、染料を溶き、束ねた絹をそこへ沈める。窓の外には季節の光が静かに差し込んで、湯気が部屋いっぱいにのぼっていく。色のなかに糸を入れて、色を糸のなかに入れる。そうやって一本の紐の色は、組むよりも前に、もう決まってしまっている。

お客さんが「えんじで」と言う。えんじ、と聞いて私の頭に浮かぶ色と、その人の頭にある色は、たいてい違う。だから色見本帳を開く。小さな絹の札が何十枚も綴じてあって、同じ「えんじ」でも、ひと家ごとに札の場所が違う。この家のえんじはこの札、あの家のえんじはあの札。一枚を指して「これですか」と訊くと、「もう少し沈んだ」と返ってくる。札を繰る。また繰る。色合わせの往復は、染める前にもう始まっている。

釜の温度を、私は指の近くと、湯気の立ち方で計る。絹は熱に弱い。煮立てれば色はよく入るけれど、糸が傷む。艶が死ぬ。低すぎれば色が浅い。だから色の入りと、糸の傷みの、ちょうど間を狙う。沸かしすぎないように、けれど染まるように。釜の前に立っている時間は、その細い境目の上を、ずっと歩いているような時間だった。

同じ染料でも、媒染を変えると色が変わる。媒染というのは、色を糸に留める下ごしらえのようなもので、何の金属を使うかで、出てくる色がまるで違う。同じ釜、同じ染料で、片方は赤みに寄り、片方は黄に沈む。なぜそうなるのかは化学の話で、本にも書いてある。けれど、どの媒染でどの色になるかは、結局その糸とその水で確かめるしかない。経験と化学の、両方がいるのだと思う。

いちばん怖いのは、濡れているあいだは分からないことだ。釜から上げたばかりの糸は、濃く、深く、満足のいく色をしている。けれど乾くと、色は必ず明るく、浅くなる。濡れ色と乾き色は違う。だから染めているあいだ、私が見ているのは目の前の色ではなく、乾いたあとの色だ。いまの濃さから、明日の淡さを引き算する。見えていない色を見ながら、染めている。

染め上がった糸は、明るいところで一本ずつ検める。ひと束のなかに、わずかでも色の揺れがあれば、撥ねる。染めムラだ。組んでしまえば、その揺れは紐の表面に、横縞のように出てしまう。組みの段で直せるものではない。一本の紐の色が揺れているなら、その揺れは染めの釜のなかで、もう起きていたのだ。検品の台の上で糸を透かすたび、私はいつも少し息を止めている。

新しく染めるだけが仕事ではない。古い帯締めの修理も来る。何十年も使われて、端のほうが切れた帯締め。継ぐための糸を、染める。このとき合わせるのは、新品のときの色ではない。いまの、褪せた色だ。日に灼け、締められ、汗を吸って、もとのえんじから少し灰の入った色。その「今の色」に、新しい絹を寄せていく。真新しい糸を、わざと老けさせるように染める。直すというより、時間に合わせる仕事だった。

釜の前に立っていると、組み台の前にいるときと、同じことを思う。紐の良し悪しは、組みで決まるのではない。色も、硬さも、艶も、ほんとうはこの釜のなかで決まっている。染めが、組みのすべてを決めるのだ。だから私は今日も、見えない乾き色を見ながら、湯気の向こうの糸を、そっと沈めている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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