かかとの、減り方
駅前のブースに立った一九八一年、観察者になるまで

タチカワゴロウ(68歳・靴修理職人45年)

靴の修理を四十五年やってきた。修業を終えて駅前の小さなブースに立ったのが一九八一年、二十三の年だった。客は靴を脱いで、台の上に置いていく。私はまず、かかとを見る。底ではなく、かかとを。靴のいちばん奥に、その人の歩き方が、いちばん正直に残っているからだ。

かかとの減り方は、千差万別だと言っていい。外側だけがすり減って斜めになっている人がいる。膝が外を向く、O脚気味の歩き方だ。逆に内側から崩れる人もいる。そして、左右でまったく違う人がいる。片方だけが早く減っている。たいていは、荷物をいつも同じ肩で持つ人だった。

朝の駅前は、雑踏が川のように流れていく。その流れの中から、ふいに一人がブースの椅子に腰を下ろす。私は靴を受け取り、かかとを上に向ける。減り方を見れば、歩き方が分かる。歩き方が分かれば、直し方が決まる。それだけのことだったのかもしれない。

直し方は、ふたつにひとつだった。減ったのと同じ素材で元通りに継ぐか、それとも減りにくい素材を勧めるか。リフトの交換には、ゴムとウレタンがある。ゴムはよく粘って長持ちするが重い。ウレタンは軽いがやや早く減る。客の歩き方に合わせて、どちらかを選ぶ。外側だけ減らす人には、外側だけ硬いゴムを入れることもあった。

グラインダーで古いリフトを削り落とす。火花のような削り粉が飛ぶ。接着で済むものは接着で、衝撃のかかる踵には釘を打つ。釘と接着の使い分けは、靴の作りを見ればだいたい分かるような気がする。仕上がりはおおむね十五分。その間、客は椅子で待つ。待たせるあいだに、私はもう片方の靴に軽く磨きをかけてやる。頼まれてもいない、サービスのようなものだった。

ある日、若い男の客が言った。「右だけ早く減るんだよね、なんでだろう」。私は手を止めた。理由は、見れば分かる。右足に体重を預ける癖がある。たぶん利き足で、たぶん右肩で鞄を提げている。けれど私は、それを言わなかった。靴の修理屋は、体の診断をしない。そういう線引きが、自分の中にあった。「そういう方、多いですよ」とだけ言って、私はゴムを継いだ。

言うべきだったのか、言わざるべきだったのか。今でも分からない部分はある。けれど、あの一言を飲み込んだ日から、私はかかとをただ「直すもの」としてではなく、「読むもの」として見るようになった気がする。ブースの椅子に座る人の、声にならない歩き方を。

あれから四十五年、私はかかとの観察者であり続けた。人は顔で嘘をつき、言葉で取り繕うが、かかとだけは嘘をつかない。外側に傾く人、片側に偏る人、まっすぐ減らせる人。かかとの減り方は、その人の人生の歩き方を、静かに語っているのだ。私はそれを、ただ黙って継いできた。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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